福島旅行記(後篇)

2日目(3日目?)も早朝に出発することになった。午前3時半に宿を出る。とりあえず海に向かい、なんとなく鵜ノ尾埼灯台というところで停めて岬へと登っていく。まだ夜は明けていなかったが漁船が多かった。

 

 

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灯台のあたりから。切りたった崖の上にいる。

 

ものすごい風と強い潮の香り。ウミネコが鳴いている。

 

 

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太陽の運行とは関係なく、波は絶え間なく押し寄せていた。

 

途中通って海岸沿いの道路は一直線で人も車もおらず、さながら高速のよう。普通沿岸の道路というのはくねくね曲がるものだと思っていたので、少しびっくりする。考えてみれば、自分の慣れ親しんだ海岸というのは「島」のそれであって、道路も曲線を描くわけだけど、この辺りは陸も海も「面」のようになっていて、一直線に対峙しているような印象を受ける。

 

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この道路を通ってきた。左手が海。道が一直線に続いている。

 

松川浦もきれいなところだった。ここは海とつながった湖のような場所で、どこか松島を思わせるような風景だった。

 

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島に穴が空いている。これは浸食作用によるのか、それとも人工のものなのか。

 

    *    *    *

 

 

以降の予定を何も考えていなかったが、時間は有り余っていたので亘理まで足を伸ばすことにした。本当は閖上に行きたかったが、寄り道しながら向かうにはやや遠いので断念。

寄り道の間の写真はなし。亘理町に入り海岸にたどり着く。吉田砂浜海岸。ここの防波堤は異様なほど高かった。

 

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この防波堤とテトラポッドが数キロにわたってずっと続いている。

 

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陸には防災林(防潮林)が整備されているところ。車と比較すればこの堤防の大きさがよくわかる。防波堤の斜面は登ることが不可能な傾斜と高さになっており、一定の間隔をおいて階段が設置されている。

 

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堤防から防潮林を望む。整備中のため、このようにまだ木がほとんど生えていない区画もある。

 

砂浜の方に降りると、さらにこの堤防の巨大さが実感される。テトラポッドも規則的に並べられているので、何か異様な一様さを感じさせる。

 

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テトラポッドと防波堤に挟まれた場所。防波堤の内側も海も見えず、コンクリートと幅数メートルの道に視界を覆われる形になる。

 

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テトラポッドの上から。

 

たびたび目にするこの「異様な一様さ」については考えさせられた。数キロ、数十キロの長さにわたって続く防波堤や防潮林は確かに人工のものなのだけれど、自然の方もまた比類なき力によってこの海岸を一様に流し去ってしまった。ここで人間が暮らしていくには、自然の巨大な力に対して人間も抵抗しなければならないのだろう。

しかし少し違和感を感じてしまったということは告白しなければならない。果たして人間はいつか、あらゆる海岸をこの巨大な防波堤で覆ってしまうのだろうか。

 

 

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4キロほど進んだ地点。この先もずっと堤防が続いている。

 

防波堤沿いに進んでいく。この道は未舗装であった上に前夜の雨も影響してコンディションは非常に悪く、ときには通れるのか怪しいほど大きな水たまりがあったほど。ものの数分で洗車が必要な状況になってしまった。

どこまで進んでもあまり風景は変わらない。行き止まりのところまで来てしまったので、ゆるやかに帰路につく。ここからは基本的にいわきに戻るだけとなる。

 

    *    *    *

 

 

帰り道はほとんど同じ道だったが、自分の趣向もあってこれまでは海ばかり見ていたので、横道に入って田畑(であった場所)も見ておく。

 

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工事車両が通るからだろうが、道路だけはきちんと整備されていたのが印象的だった。物を運ぶにも何かを作るにも、道がないことには始まらないのだろう。

 

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実際にそこに住んでいる人がどう思うかは別として、木々が生え土が大量にあるのを見て少しだけ安心感を得たというのが正直な感想。相変わらず工事の車両が多いのを見るとまだ道半ばなのだと思わされるが、そもそも「道半ば」というのは人間にとっての話である。

自分は「人間」に関心を抱いてはいるけれども、「人間中心主義」を標榜しているわけでは決してないということは書き添えておく。

 

    *    *    *

 

なぜ自分がこんなに海に惹かれるのかは分からないが、帰り道には結局海に寄りたくなった。久ノ浜の海岸。

 

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久ノ浜。

 

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一直線の海岸ばかり見ていたので、ごちゃごちゃした砂浜を見ると安心する。

 

少し時間の余裕があったので、最後に薄磯海岸にもう一度立ち寄る。前日は真っ暗で何も見えなかった上に風も強かったが、やや凪いでいて穏やかだった。中学生が何人か遊んでいる。

 

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午後の薄磯海岸。

 

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いわき駅に戻り車を返す。疲れていたので特急ひたちに乗って東京へ帰った。

 

    *    *    *

 

震災という出来事に接近するための第一歩としてとりあえず行ってみたわけで、この2日間で何かを「得た」のかどうかは分からないし、おそらく胸を張って「得た」と言えるものはないというのが正直なところ。ほとんど写真を並べるだけの旅行記(?)になってしまっているが、自分が持ち帰ってきたものはこの写真くらいなのかもしれない。

 

ただ、少なくともまた訪れてもっと深く知りたいということを強く思っており、それだけでも一つの収穫だとは思っている。今回は地元の人との接触を完全に絶っていたので、次来るときにはもう少しいろいろ土地の話を聞けるといいんだけど。

福島旅行記(前篇)

先日、思い立って福島に行った。太平洋沿岸のいわゆる浜通りという地域。

 

行くことを決めたのは3月29日で、翌日出発することを考えて旅程を立てていたが、前乗りしてしまった方がいろいろと楽だということに気づき、急いで荷造りをしてその日の終電でとりあえずいわきへ向かった。常磐線の車内でとりあえずその日の宿を取り、2日間の車を確保し、いわきと相馬出身の先輩に土地の情報を尋ね、23時頃にいわきに着いた。

 

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いわき駅に着いてとりあえず撮った1枚。

 

    *    *    *

 

前々から被災地を訪れたいという気持ちはあったものの、ただ行っただけでどうなるものではないだろうと思い先延ばしにしていた。ただ、10年の節目となる今年になっても震災という出来事に対して外部的でしかない自分の身を顧みて、やはり「ただ行く」だけでもいいから行ってみようと思い立った。自分の学業にも一つの区切りがつき、4月からは多少忙しくなってしまうだろうから今しかないという切迫感もあったと思う。

 

    *    *    *

 

いわきのビジネスホテルにチェックインする。しかしなぜか全く眠れなかった。言葉にすれば「不安の混じった興奮状態にあった」ということになるだろうし、「何か漠然とした切迫感を抱えていた」とも言えるかもしれない。らちがあかないので、ひとまずどこかに向かうことにした。

 

午前3時頃に車を借りて東へ向かう。とにかく海を見ておきたかった。車はほとんど走っていない。海岸沿いの道路に出たはいいものの、真っ暗な上に防波堤が高いので何も見えなかった。灯台があるという案内が見えたのでそこから南へ向かい、大きな駐車場のある海岸にひとまず停めた。暗くて何もわからなかったがここは薄磯海岸というところで、前日にいわき出身の先輩からおすすめされていた場所なのだった。風が強く、波の音も大きい。灯台の光が見える場所だった。半時間ほどはここにいたと思う。

 

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薄磯海岸。真っ暗。

 

さらに南へ向かい、小名浜へ。空が白み始めた頃に三崎公園に着き、無骨な展望台に登って朝日を待った。

 

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絶え間なく波が押し寄せる。月がやけにきれいだった。

 

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東南東の方角。水平線に厚い雲があったけどちゃんと昇ってくれた。

 

朝日を見たところで一旦ホテルへ戻ったものの、身支度をしてすぐに出た。相馬を当面の目的地として北へ向かう。

本来最短で相馬へ向かおうとすれば常磐道に乗ることになるが、今回は被災地を見ておくという趣旨で訪れたので当然高速には乗らない。下道だと国道6号を通るのが普通ということらしく、基本的には6号線を使いつつも適宜寄り道をすることにした。

 

ということで海に近づいたあたりで国道を外れ、海岸の方へ向かった。土地勘がないので正確な場所は分からないが、おそらく久ノ浜のあたり。

 

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国道を外れて海へ向かう途中。以後何度もこの標識を目にすることになる。

 

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適当に東へ向かっているうちにたどり着いた場所。

 

この日は晴れ間は見えていたものの曇りがちで、そのせいかやや陰鬱な印象を与える海だった。鉛色の海。

ひさびさに一直線の水平線を見たと思う。慣れ親しんでいる海にはたいてい対岸というものがあったから。しばらくそこにいたが、単に「見ていた」というより「目が離せなかった」という方が近いかもしれない。

 

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国道へ戻る。

 

6号線のうち楢葉から浪江までの区間は「帰宅困難区域」に入っており、歩行者・二輪は進入禁止かつ普通車も駐停車禁止となっている。窓を開けてもいけない。

そういうわけで一切写真は撮れなかった。十数キロの道沿いには放置された建物の数々。10年経っても「復興」とは程遠い状況。

 

一方で工事関係の車両はものすごい数。これらのマンパワーはこの地域の復興のために使われているのだろうが、果たしていつになったらここに人が住むことができるのだろう?もう10年が経っている。

 

    *    *    *

 

この区間を抜けて、ひとまず浪江駅へ向かう。昨年常磐線全線開通のニュースが流れたが、それ以前不通だった富岡-浪江間に乗っておきたかったのだった。

 

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浪江駅。

 

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浪江駅構内。この先が旧不通区間の富岡駅方面。

車を置いて電車で夜ノ森駅へ。たった3駅ではあったが、やはり車窓は呑気に見ることのできないものだった。

 

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15分ほどで夜ノ森駅に到着。駅周辺は除染されているということになっており、特に夜ノ森駅は歩いて回れる区域が広い。桜が満開になっており、ガードレールに腰掛けてお花見をするご夫婦もいた。

 

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夜ノ森駅前。

 

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しかし歩くとほどなく物々しい看板と柵が見える。

 

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この橋を渡ると歩行者進入禁止区域となる。

なんというか、いろいろなことが「程遠い」。駅に降り立つことはできて、きれいな桜が見れて、他にも花見を楽しんでいる人がいて、でもここまで。どうしようもない無力感を抱えてしまう。

 

この除染済み区域もある種のユートピアなのではないかという気持ちになる。確かにこれは復興に向けた第一歩なのかもしれないが、10年経ってやっとここまで。それぞれの場所に戻れるようになるにはあと何年かかるのだろうか。土地の人が「第一歩」を「第一歩」として喜ぶのはともかくとして、私たちは一緒になってただそれを祝うだけでいいのだろうか。それは失われたものないし失われつつあるものから目を逸らすための口実なのではないか。

 

    *    *    *

 

ゆっくりしたかったものの、時間の都合もあり30分後の電車で浪江に戻る。

 

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夜ノ森駅構内より。

 

「道の駅なみえ」に立ち寄ってお米と凍み餅を買う。やや急いでいたのですぐに相馬に着いてしまった。

 

相馬には「伝承鎮魂祈念館」という施設があり、小さいながらも当時の新聞記事や写真などが展示されていた。写真はない。

 

そこから中村城跡へ。相馬出身の先輩によればここは「相馬の中心」らしい。あまりたくさんは見れなかったけれど、中にある相馬中村神社にはやはり桜が咲いていた。

 

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この日の分のフィルムが尽きていたのでハーフで撮った。写真はあまりきれいではないけれど、まばらに咲いている桜はきれいだった。

 

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「相馬野馬追」という神事が行われるらしい。

 

車中泊をすることも考えていたものの、前日から寝ていないということもあり、安宿を取ることにした。荷を解いてカップ麺を食べ、同期と電話で話したあと、19時頃早々に寝落ちてしまっていた。

 

翌日も早朝に出発することになる。今回は一旦ここまで。

展示「デイジーチェーン」(TOKAS)の感想メモ(石塚まこ、高石晃)

昨日、「トーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)」で行われていた「デイジーチェーン」という一種の成果発表展を観に行った。印象に残った作品が2つあったので、紹介を兼ねて感想を書き留めておく。

 

1つは石塚まこによる展示。彼女のHPはこちら。作者自身による作品の説明もある。

https://makois.com/index.html

 

今回の展示では"Graphic Movements(Lean on me)"という20分ほどの映像作品があった。ネット上にもその抜粋(約5分)がある。なぜか再生回数は60回ほどだが。

https://www.youtube.com/watch?v=XiW9d_t4KuE&feature=emb_title

 

この映像作品の中ではあるゲームが試みられる。このゲームとは要するに、背中を合わせて立つ2人の人間が手を使わずかつ倒れないように体操座りの形で座り込み、そしてまた手を使わずに立ち上がってみるというもの。場所や人を変えていくつかのチャレンジの様子が撮影されている。

 

作者自身が意図したことかどうかはわからないが、このゲームを「他者との共生」とみなしたとき3つの点において面白く観た。いちいち書くようなことでもないのかもしれないが、簡単に書いてみる。

 

・アンバランスさ—他者性の露出

もちろん最初はうまくいかない。片方の体格が良くてもう片方が小さい場合、どうやってもバランスが悪くなり倒れてしまう。言語を使えば難なくコミュニケーションが取れる友だちだったはずが、このゲームに参加することでにわかにその他者性が浮き彫りになる。

しかし、力加減を探るうちに良いバランスが見えてくる。そうして彼らはよく見知った人間の(もしくは見知らぬ人間の)新たな一面を知ることになる。まず他者性を露出させることで彼らはよりよく共にあることができる。

 

・見えないということ、背中が触れていること

中合わせである以上、相手を見ることはできない。「視覚」が封じられていなければこなせるはずの動作がこなせない。

封じられているのが「目」であるということはあまり重要ではないだろう。「目」に限らず、そしてこのゲームの中に限らず、私たちは他者を完全なやり方で把握することができない。他者の感情や知覚を直接認識することはできないが、それらは何らかの間接的な方法によって(例えば言語によって)把握される。

その意味でこのゲームは2つの学びを与える。何らかの感覚が封じられている状況で他者とコミュニケーションを取るすべを学ぶこと。そして別の新たな感覚(背中の触覚)をもとに他者とコミュニケーションを図るすべを学ぶこと。

 

・ゲームの座につかせる難しさ

もちろん作者本人にとってこの作品における「共生」というテーマがどれほど重要な位置を占めるのかはわからないが、このゲームを他者との共生の試みとみなす場合、やはり難しいのは「そもそもこのゲームに参与させること」である。

実際、参加している子供たちの中にはルールを理解できず、体操座りではなく正座をしてしまう者もいた(むろんこれだと簡単すぎてゲームにならない)。これは象徴的な事例としても、ゲームのルールに従わないということはいくらでもできてしまう。

むろん参加する意思のある人間だけでゲームを行うことも可能だ。僕自身、そのような友人とのみ「共生」をやっていくことも可能だと思う。しかしそうでない場合は……

この点については少し考えさせられる。

 

いずれにせよ、他者と背中を合わせて「共に立つ」という試みは面白い。そもそも「共に-立つ」ということは、"coexist"の語源的意味(co-ex-ist、共に-外に-立てる)にも遡るものだ。あまり能天気に過ぎるかもしれないが、こうやって他者と共に立つ=共存することの実践を見るのは悪くない体験だったと思う。

 

 

なお、もう一つ印象に残った作品があった。高石晃の"Linna A"5分ほどの映像だが、こちらもネット上に短いバージョンの"Linna"がある。

https://vimeo.com/388720632

 

個人HPはこちら。

http://www.akiratakaishi.com/

 

特に書き留めておきたいことはなかったのだが、個人的には先日観たギオルギ・オヴァシヴィリ監督『とうもろこしの島』(2014)を思い出した。そしてさらに個人的な感想としては、星型要塞を模したこの小さな城塞(?)に丁寧に作られた階段がとても好きだった。

罪責性と倫理について

・「罪責性」とは何か。僕はおおよそculpabilityのことを念頭に置いているが、二つの概念の間には微妙な相違がある。

本来適当な訳語は「有責性」というほどのことなのだろうが、「有責」という語からは「責」を負わせる側と負う側の対立関係を連想させるし、その結果として後述の通り「有責性の経済=エコノミー」が喚起されてしまう。僕がここに想定する「罪責性」はそのような照応関係をもつと限ったものではないし、またそれぞれ固有な性質を持つ。

また「罪責」という言葉からはguiltすなわち「罪の意識」のことが想像されるが、単にこれは全く違う話。ここに想定する「罪責性」はそのような主体の「感情」ではないから。

 

 

・おそらく多くの人間が多くの人間に対して罪責性をもっている。

しかしこうした罪責性を単に「加害-被害」のような概念の対によって説明しようとする試みは危うい。なぜならそのような照応関係に帰着させる試みは、往々にして経済=エコノミーのシステムへと向かってしまうということがあるからだ。罪責性がいわば通貨として流通し、転嫁され、足し引きされる、そんな「罪責性の経済」へと問題を変質・縮減させてしまうという事態が生じうる。

 

確かに私たちの生がグローバル資本主義に取り込まれてしまっている以上、このような照応関係(罪責性の経済)を全く考慮しないわけにはいかないということは認めなくてはならない。搾取された他国の人々が収穫した作物で身を養っておいて、「罪責性は流通しない」などとのたまうのはあまりにも能天気すぎるということだ。

 

しかし罪責性をエコノミーの領域のみに押し込めることもまた問題だろう。端的な例として、現行の刑罰はそのシステムを「量」に負うところ大であるが、懲役の年数が「罪」を十全に表現しているわけではないことは自明だ。

罪は本来足し引きできない。罪が贖い(redemption, rachat=買い戻し)によって償還されるという想像的事実は、なるほど一対一の人間関係を維持する上では有用かもしれず、また社会を”潤滑に回す”ためにもまた必要とされるかもしれないが、それはあくまで空想の産物でしかない。実際のところ贖われているのは「罪」そのものではなく、例えば個人間においては「後ろめたさ、罪の意識(guilt)」が買い戻されているにすぎない。

 

・エコノミーから離れて考えるとき、私たちはみなそれぞれ固有に罪責性を持つと言うしかないのではないか。これを一つの視座として提示してみたい。

さらに言えばあらゆる行為にもやはり固有の罪責性がある。贈与にしても、ある人への贈与は他のある人への非-贈与である。これは詭弁ではない(トロッコ問題でも想起すればよいのではなかろうか)。あらゆる主体はあらゆる行為について罪責性を抱えているというわけだ。

 

何やら後ろ向きにも見えるわけだが、その実これは決して悲観的なヴィジョンではないのではないか。

ある主体がいかなる罪責性がないと言ってしまうことはあまりに能天気すぎる。一方で、善行を為すか罪を負うかという二者択一に陥ってしまうのもまた問題だろう。そもそもこれらが裏表の関係をなしていると考える時点で罪責性をエコノミーの領域に押し込んでいる。二者択一問題を「捏造」してもどうしようもない。

 

逆に言えば、どの行動にも固有の罪責性が「ある」のだから、罪責性の「有無」が行動を縛るということはないはずだ。ならば私たちが行動を選択する基準は、罪責性ではなく「倫理」の側に求めればよい。すなわち「何が善なのか」という問題だ。あらゆる行為に罪責性を見いだすことで、行為の選択を否定的ではなく肯定的なものとしてとらえることができるようになる。

 

・これは出発点でしかない。いかなる行為にも罪責性がつきまとうという視座を提示する価値はあると思うが、現実の生の指針としては全く十分ではない。

問題は「いかに善き生を行うか」。「何が善なのか」。「私たちの経験的な善の認識とはいかなるものなのか」。

 

ある意味では、別にこんなことを考えずに自らの意志におもむくまま行為できればそれでいい。善き生を志向するか否かは主体が選択することでしかないのだから、それでよければ勝手にそうすればよい。ただその「意志」を解体され見失ってしまったとき、そして何も行為できなくなったとき、「善」への問いが立ち戻ってくることになるだろう。

 

しかし一方で行為することから逃れることはできない。行為せずに生きることはできない。

また選択することからも逃れることはできない。例えばフローチャートのような一種の体系に当てはめて行為を選び取るという生は果たして善だろうか。明らかに否である。フローチャートが存在するという時点でその主体にとっての「善」の認識は固定されてしまっている。

(補足するが、例としてあらゆる種類のマイノリティのことを想起されたい。性的マイノリティについて情報を更新しないのは論外として、「フローチャート」上には有限個のラベルしか存在せず、そこに「グラデーション」はあり得ないという事実を提示するだけで説明は十分だろう。)

そもそも前もって用意された体系は世界の潜在的可能性をあらかじめ消去することでもある。無限の可能性を秘めた世界に対して私たちの経験的認識は有限でしかあり得ないが、だからこそその認識を不断に更新し、能うかぎり十全なる「善」の認識へと近づけなくてはならない。

 

善とは何かという問いを不断に自己へ投げかけつつ、行為から逃げないこと。ひとまず自分にできることはそれしかない。どちらも難しい。

 

ただ救いなのは、「罪責性(culpabilité)」の問題と違って「善」の問題には言うまでもなく多くの先人が思考を重ねてきているということだ。「本を読めば解決する」と言いたいわけではないが(これこそフローチャート的行為選択だ)、豊かな思考の堆積があるという事実は大きい。

もちろん善についての問いは自己への反省的な問いでもあるだろうが、同時に他者(思想家とは限らない)との対話の中でもなされなければならないだろう。繰り返すが、自己の認識能力は有限である。自己のうちにないものは他者のうちに求めるしかない。

 

罪責性を認めてなお善く生きること。繰り返すが本当に難しいことである。

『うたのはじまり』についての覚え書き

『うたのはじまり』という映画についての私的かつ部分的な感想。

この作品は難聴の写真家である齋藤陽道氏と「うた」をめぐるドキュメンタリー。映画の包括的な説明をするつもりはないのでそれ以上何も書かないでおく。

 

書いておきたいのは、作品中で最も印象的だったシーンについて。それは冒頭、氏が監督の河合宏樹氏と「うた」について筆談をしている場面だった。

 

難聴の彼にとっては学校での音楽の時間が苦痛だったと語るシーン。彼はそこで「ぼくにとって音楽はただの振動でした」と書きつける。これはろう者の発言としては決して驚くべきものではないだろう。しかし、「ぼくにとって音楽はただの振動」まで書いてから「でした」の3文字を記すまでの間にわずかな、しかしはっきりとした間隙があったのが僕の目をとらえた。時間にして3秒ほどだろうか。

 

「でした」というきわめて簡潔な言辞をさらりと書くことを許さなかったのは何なのか。むろんそれについては想像するほかないのだが、ともかく「音楽がただの振動でした」と言い切ってしまうことへのためらいを見て取ることはできる。

断定へのためらい。しかしそれは同時にためらいながらの断定でもあった。この事実を確認し乗り越えたこと、「音楽がただの振動」であるという地点から出発するということが、彼の「うた」の探求において必要不可欠だったのではないか。

それ以降の様々な場面において、彼は文字を通してというよりまず「振動」によって音を聴こうとする。シンセサイザーの音、ギターの音、そして我が子の発するあらゆる音。彼はひとまず振動によってしか音を感知することはできないのだ。

 

   * * *

 

関連して想起されるシーンがある。

それはある講演会での一コマ。彼はチャット形式の筆談で聴衆からの質問に回答し、写真についての自らの考えを伝える。そこで彼は、(これも非常に細かい点なのだが、)写真を表現する語として「情景」と書いたすぐあとに「光景」と書き記すのだ。

 

なぜ「情景」では不十分だったのか。

多くの人々には情動を引き起こすはずの「音楽」が彼にとって「振動」でしかなかったように、写真が情動を喚起する「情景」ではなく単なる「光景」でしかないという可能性に、おそらく彼は敏感である。音楽にしろ写真にしろ、それらは感情を喚起する何かである以前に単なる音ないし光である。

 

この即物性の認識はやはり先のシーンと通底しているが、今度は「音楽」ではなく「写真」が問題となっている。彼がまずそう記したように、写真が写し出すのは共通のコンテクストに基づいた情動とセットになった「情景」でもあり得る。しかし彼はそこから写真を引きはがし、あえて「光景」と表現する。コンテクストや環境によっては「音楽」が苦痛を引き起こす。しかし彼の表現手段である「写真」についても同じことが起こりうる。その事実に目配せがなされていたということに僕はひっそりと感動していた。

 

   * * *

 

私たちがなんとなく「情動」と指すもの——それは多くの場合「快/不快」という指標で測られる——によって、私たちの感覚は逆に縮減されているのではあるまいか。僕はそんなことに思いを巡らせていた。もちろん快い感情を引き起こす音楽(や写真)を捨てる必要はない。しかし、その情動の向こう側(いや「手前」かもしれない)を知ることができればもっと世界は広がるのではないか。そしてそこから戻ってきたとき、私たちが見る光景はまた違ったものとなるだろう。

 

文字にしてみると何やら当たり前のことのような気もする。それにもちろんこれは近視眼的な感想でもある。しかし一人の人間の実践を目の当たりにしたという事実はあまりにも大きかった。まだ全てを消化しきれてはいないに違いないが、これからふとしたときに今日観た映像を思い出すときが来るのだと思う。

 

(あとがき(?)。この映画はとある友人に勧められて観に行ったのでした。もう公開している劇場も少ないのですが、興味のある方はぜひ。)

「切迫」についてのメモ

 あるとき、音楽における切迫性というものについて考えた。その際に「切迫」という語について調べ、その概念について考えてみた。以下はその覚え書きである。

 

   * * *

 

 まず広辞苑を引いてみた。曰く、「①非常にさしせまること。 […] ②おしつまること。 […] ③急になること。」*1

 

 おそらく何かある「点」があり、そこに向かって「何か」が迫っているということになるのだろう。

 

   * * *

 

 さて、「切迫」はフランス語で«imminence»である。この«imminence»ならびにその形容詞形«imminent»の定義はおもしろい。

 

 «imminence: Fait d’être en suspens»(「中断されて[宙づりにされて]いるもの」).

 «imminent: A. Qui menace(「何かをおびやかすもの」). [...]  B. Qui est sur le point de se produire(「まさに起ころうとするもの」)»*2.

 

 日本語の「切迫」に最も近い意味内容を持つ定義は「まさに起ころうとするもの(sur le point de se produire)」というものだ。逐語的に訳せば「生じる点の上にあるもの」なのだから、「切迫」の定義である「(ある点に向かって)差し迫る」にかなり近い。同時に«imminent»という語は「おびやかす」という強い意味も持っている。しかしこれはまだ理解がしやすい。

 フランス語の«imminence»という語の特徴的な意味範囲は、「中断された=宙づりの(suspendu, en suspens)」という概念ではないだろうか(ラテン語の«immineo»という語においてもこの概念が顔を出すだろう)。つまり「生じる(se produire)」ということだけではなく、それが「中断され=延期され=宙づりにされる(en suspens)」というアスペクトにも焦点が当たっている。

 日本語の「切迫」とこの概念との間のつながりは、一見薄い。しかし「宙づりにされている」という意味範囲は、「切迫」という語を新たに照らしてくれる。私たちが「切迫」しているときには、何かが中断され宙づりにされているということが確かにあるだろうから。

 

   * * *

 

 «imminence»という語の理解は深まった。ではそこから「切迫」という語に立ち戻ってみる。この語は単に«imminence»から「宙づり」の概念を引き去ったものでしかないのだろうか。否、そうではない。«imminence»を「切迫」に当てはめたときに零れ落ちるのは、「原因の内在可能性」ではないだろうか。

 

 «imminence»という語においては何かが何かをおびやかすということ、ないし何かが(どこかある点において)起こるということが問題になっている。(中断されるというアスペクトが顔を出すとしても、)ここにはひとまず確固たる主体(動作主)があるようだし、主体と客体の区別ははっきりとしている。

  しかし「切迫」では微妙に事情が異なる。もちろんその理由が外在的である「切迫」もありうるだろうが、それと同時に「切迫」の理由が内在的であるという事態の方が前景化していないだろうか。そこでは、「何かが何かに差し迫る」という「主体-客体」の図式は揺らぐ。

 

 単に「何かに追い立てられる、おびやかされる」のであれば、「火急」とか「急迫」とかいった語を使えばよい。だが、それでは物足りないときがある。「急迫」などといった語よりも「切迫」としか言い表せない何かがある。 これは確かに印象論だが、無根拠とも言えない。私たちにそう思わせる理由は何と言っても「切」という漢字だ。

 

 「切迫」における「切」はもちろん、「差し迫ったさま」という意味で用いられているに違いないのだが、同時に「ねんごろなさま」、「苛酷なさま」という意味も想起させる。動詞としての「切」には、「切る」という意味のほかに「責める」という意味がある。そして副詞としては「必ず」、「きっと」という意味を持つ*3

 

 私は切迫している。何かが苛酷に迫ってくる。私は責め立てられる。「それ」はきっとやってくる。その理由は私のうちにある。私は私に差し迫る。私(の中の何か)が、切実さを伴って私に迫ってくる。

 

 そこまで考えて、「切迫」というのはいい言葉だと思った。おそらくこの語においては、「何が」差し迫ってくるのかを問うことが大きな意味を持つことはないだろう。私たちがみるべきは、それが何であるにせよ「迫っている」ということであり、その「必然性」ないし「宿命」であり、同時にその「切実さ」である。「切迫」という言葉は、或る絶対性に対面しつつも、少し湿っているのだ。

*1:新村出編『広辞苑(第6版)』岩波書店、2008年、p.1578

*2:Le Trésor de la Langue Française informatisé, «imminence», «imminent».

*3:『全訳 漢字海(第3版)』三省堂、2000年、p.160

ひとりごと

・さっきふと思い出して、再読。

 

« Un ouvrage est fini quand on ne peut plus l’améliorer, bien qu’on le sache insuffisant et incomplet. On en est tellement excédé, qu’on n’a plus le courage d’y ajouter une seule virgule, fût-elle indispensable. Ce qui décide du degré d’achèvement d’une oeuvre, ce n’est nullement une exigence d’art ou de vérité, c’est la fatigue et, plus encore, le dégoût. » (Cioran, De l’inconvénient d’être né)

 

「作品は、それが不十分で不完全であるとわかっていながらも、これ以上よくすることができないというときに終えられる。(書き手は)あまりに疲れているので、たとえそれが必要不可欠であったとしても、カンマひとつさえ打つ元気がもうないありさまだ。作品の完成度を決めるのは、全くもって芸術や真理の要請などではない。それは疲労であり、またさらに、嫌悪である。」(シオラン)

 

ちょっと違うけども、やはり作品の有限化にかかわるところ......。

 

 

 

・ビルエヴァンスのドキュメンタリー映画を観に行きたいと思っている。

最近こういうの流行りだよなと思いつつ、でも行きたい。

 

僕はマニアではないけれど、彼の音楽は特別だと思う。

 

なぜエヴァンスが特別なのか。

もし答えがあるとすれば、そのうちの一つは間違いなくコードの多彩さではないだろうか。

多彩というと語弊があるかもしれない。でもそれは、限りなく中性的で、透明さを帯びているともいえるかもしれない。

 

例えばチックコリアはどうだろうか?コードに関していえば、彼のそれは中性的とも透明ともいえないだろう。彼のヴィヴィッドな、そして回帰するコード、それが中毒性を帯びていることは間違いないのだけれど、同時にそれがチックコリアの耐えられなさでもある。

 

 

 

 

・はしご外しの繰り返し、そこから抜け出さなければならない。これを忘れてはいけない。

 

天まで届くハシゴを一気にかけることはできない。もしあるとすれば、それは本当に"Stairway to heaven"に違いない……。