ひとりごと

 12月31日の夜、というかそれはもう1月1日の朝になっていたわけだけど、3時半くらいにベランダに出た。今思えば静かでいい夜だったし、ここが東京だとは思えぬほど星が美しかった。

 

 なぜ急にこんなことを思い出したかというと、今日の夜空はそれほど澄んではいなかったから。紺よりも青みがかったその空は、年が明けてから5日経って徐々に再開されている人々の活動を反映しているのか、あまりに多くの光に当てられて弱っていた。

 

     * * *

 

 人はしばしばある種のことを、失ってからしかはっきりと実感することができない。もちろん私たちは常に何かを失いながら生きているし、また喪失は不幸を直ちには意味しない。しかし、その喪失に無自覚であったということは後悔すべきことである。

 

     * * *

 

 だが真に不幸なのはその喪失に気づくことすらないということかもしれない。少なくとも私はそれを幸福だと思いたくはない。知らずにすますことを幸福だと思うのは人間的な生の放棄だ。

 

 それならばせめて、失ったという事実を失わなかったことを祝福しよう。そして私という生におけるアーカイブに感謝しよう。それは記憶である。またその記憶の舫い綱としての写真であり、メモである。

 

 後悔が消えることは決してないが、後悔という感情を持てたことに感謝しよう。さもなくばとても生きてゆかれないのだから。

ひとりごと

・さっきふと思い出して、再読。

 

«Un ouvrage est fini quand on ne peut plus l’améliorer, bien qu’on le sache insuffisant et incomplet. On en est tellement excédé, qu’on n’a plus le courage d’y ajouter une seule virgule, fût-elle indispensable. Ce qui décide du degré d’achèvement d’une oeuvre, ce n’est nullement une exigence d’art ou de vérité, c’est la fatigue et, plus encore, le dégoût.» (Cioran, De l’inconvénient d’être né)

 

「作品は、それが不十分で不完全であるとわかっていながらも、これ以上よくすることができないというときに終えられる。(書き手は)あまりに疲れているので、たとえそれが必要不可欠であったとしても、カンマひとつさえ打つ元気がもうないありさまだ。作品の完成度を決めるのは、全くもって芸術や真理の要請などではない。それは疲労であり、またさらに、嫌悪である。」(シオラン)

 

ちょっと違うけども、やはり作品の有限化にかかわるところ......。

 

 

 

・ビルエヴァンスのドキュメンタリー映画を観に行きたいと思っている。

最近こういうの流行りだよなと思いつつ、でも行きたい。

 

僕はマニアではないけれど、彼の音楽は特別だと思う。

 

なぜエヴァンスが特別なのか。

もし答えがあるとすれば、そのうちの一つは間違いなくコードの多彩さではないだろうか。

多彩というと語弊があるかもしれない。でもそれは、限りなく中性的で、透明さを帯びているともいえるかもしれない。

 

例えばチックコリアはどうだろうか?コードに関していえば、彼のそれは中性的とも透明ともいえないだろう。彼のヴィヴィッドな、そして回帰するコード、それが中毒性を帯びていることは間違いないのだけれど、同時にそれがチックコリアの耐えられなさでもある。

 

 

 

 

・はしご外しの繰り返し、そこから抜け出さなければならない。これを忘れてはいけない。

 

天まで届くハシゴを一気にかけることはできない。もしあるとすれば、それは本当に"Stairway to heaven"に違いない……。

 

 

写真への試論・断片と補足

・なぜ、見るものの目を混乱させる写真(「見るものを混乱させる写真」ではなく!)の存在可能性を志向するのか。

 

それは、目が全く混乱しない写真においては、単なる同定しかありえないから。これはAというものの写真、これはBという場所の写真。ラベルとイメージの強制的なイコール。有無を言わさぬ事実の提示。

 

 

・規範的写真の耐えがたい氾濫。

 

 

・幾人かの作家が追い求めた「文体の透明さ」、それは主体の不透明さゆえこそ志向されたのではないのか?

 

 

・規範的写真、意味的な写真、イデオロギー的写真。

「規範からの"逃走"」、反意味的な写真、反イデオロギー的写真。

「規範からの"漂流"」、非意味的な写真、非イデオロギー的写真。

 

 

イデオロギー的写真と反イデオロギー的写真は、結局のところ同根なのである。なぜならば、それは何かしらの方向に向かう写真だから。

 

だからこそ、第三項としての非イデオロギー的写真が必要だ。どこへ向かうとも決まっていない、漂流としての営みであり作品。

 

 

・"部分"を撮り続けていく、ということ。

 

完成された一枚の写真などない。全ては未完成であり、部分であり続ける。だからこそ撮り続ける。

 

写真を撮るという営み、ないし撮られたそれぞれの写真には、何かの目的-終わり(fin)があるわけではない。無限に=目的を持たず(sans fin)。

 

 

・当然のことだが、意味的な写真も反意味的な写真も、ある方向-意味(sens)を持つ。共有された規範の方を目指すか、規範の真逆を目指すか。

非意味的写真はそうではなく、意味を持たない。

規範からの漂流、意味-方向(sens)をもたない写真……。

 

 

 

・しかし、非意味的写真は決して「非共有的写真」だというわけではない。非意味的写真においては意味が開かれており、そしてそこにおいてこそ共有への道は開かれている。

それは決して、意味そのものの共有ではないだろう。意味の共有は、拒絶はされないとしても強制もされない。

 

そうではなく、写真そのものの共有。意味から離れることによってこそ、写真そのものの共有へと近づいていける。そうして結局、「事物への信」のテーマへと戻ってくる、ような気がする。

写真への試論

・一度見たものをあらためて撮ること

 

例えば、丘の上にある教会を訪ねる、そんな小旅行とするとして。

 

 

なんということはない、半時間もあれば登れてしまうような丘。途中にはきれいな景色もたくさんあるだろう。

 

写真の話をしたいので、カメラを持っているということは前提にさせてほしい。さて、僕はどんな写真を撮るだろうか。

 

たくさん撮り過ぎたら後から整理するのが大変だから、行きがけにいいと思った景色を帰りがけに撮ろう。そんなことを思いながら坂を登っていく。丘の上にたどり着き、教会を見学し、あたりを散策する。そして、しばしの休息を挟み、来た道を下っていく。

 

 

その道すがら、写真を撮ろうと決めていたスポットにやってきて、ファインダーを覗き込んだとき。僕は、最初この景色を見たときほどの興奮を覚えていない自分に気づくことになるだろう。それどころか、その景色が最初見たものとは異なっているような気さえするかもしれない。そうして結局、何も撮れなくなってしまう自分の姿が見出されるに違いない。

 

というのも、例えば帰りがけにその教会の写真を撮ろうとしても、どうしても不完全なものに思えてしまうからだ。その丘の上に咲いたバラの赤や、教会の横に規則正しく並んでいる墓に飾られた故人の写真や、教会の内部の黴の匂いを伴った静けさを知った後には、どうやって撮ろうとしても、違和感を感じてしまう。どうやって撮ろうとしても、何かが欠けているような、何かすくい上げられていないことがあるような気がしてしまう。

 

 

躊躇してしまう。一度見たものを改めて撮ることへの否応なき躊躇。"全て"を撮ることの不可能性が私たちに迷いをもたらす。そうして、結局何も撮れなくなってしまう自分が見出されることになるだろう。

 

全てを撮ることはできない。何らかの形で有限化しなければ、写真は撮れない。写真を撮るという行為は、有限化だ。

 

 

   * * *

 

 

・内的規範

 

突然個人的な体験から出発してしまったが、許してほしい。

「一度通った道の景色を帰りがけに撮る」こと。その行為につきまとう躊躇、違和感。そこから出発して、写真を撮ることについて考えてみる。

 

 

ではもし、その違和感に取り合わず、躊躇せずに写真を撮るとして、それはどんな写真となるのだろうか。言い換えれば、全て(ないしより大きな部分集合)を見てしまった状態で、それをどのように有限化するのか。

 

そんな状況で写真を撮るものはみな、無意識に内的な規範に頼ることになるだろう。

 

 

なんらかの内的な規範に強く規定された写真。

集合写真という例は非常にわかりやすい。集合写真においては、全員の顔が(ときに身振りをともなって)枠内に写っていることが要求されている。

だが、同じことは他の写真にも言える。例えば風景写真においては一般に、「均整のとれた構図のもとで、美しいとされている風景が写っている」ことが規範となっているだろう。

 

 

そのような規範に規定された写真を撮ること。レンズが捉えているものをフィルム(ないしセンサー)に投影するのではなく、私たちが内に抱いているイメージをファインダーに投影すること。

それは、単に写真を撮る/写真が撮られるという事態からもはや離れて、自分の作りたい写真を作る作業に近づいていくだろう。

 

別の言葉で表現するなら、何を撮っているのかよくわかる写真。私たちの目を決して戸惑わせることのない、整理された写真。

 

・非意味的な有限化

 

もちろん、規範に規定された写真・整理された写真も、私(たち)にとって快いものでありうる。

しかし、だからと言って冒頭に書いたような躊躇、迷いが消えるわけではない。「それでもいいから撮れ」というのは、今の僕にとっては、どこまでいっても自らに対する欺瞞でしかない。

 

一度見たものを改めて撮ること。一度見たものの中から、自らの内的規範に照らし合わせて意味を探し、それを再構成してイメージを作る。私たちは、そんな写真の作り方にあまりに慣れてしまっている。

 

 

規範によって規定される有限化に陥らないために。そのために、非意味的な有限化が必要なのではないだろうか。

単に"無"意味な、ということではなく、なんらかの意味によらない有限化を志向する。なぜなら、意味を求めようとすると、私たちは私たちのうちにそれを探さざるを得なくなってしまうから。

 

そしてそのために、何かを見て印象に貫かれたその瞬間にシャッターを切る、という実践が必要になるのではないだろうか。

その印象が、自分の中で意味を結んでしまう前に、写真を撮る。そして、それを積み重ねていく。

 

見るように撮る。見たものを撮るのではなく。

自分の目をカメラに近づけていくのではなく、カメラを目に近づけていく。

 

そもそも、私たちの目の動きはしばしば非意味的である。だから、ときには見たくないものも見てしまうのだが、同時にだからこそ、見る予定ではなかったものも見ることができる。

 

 

・規範からの漂流

 

僕が追い求めているのは、決して「規範からの"逃走"」ではない。

規範からの逃走としての写真とは、例えば誰かが意図的に写っていない集合写真であったり、それとわかるほどに構図がめちゃくちゃな風景写真であったりするかもしれない。また例えば、壊れたカメラで撮った写真、完全に感光して真っ白な写真なんかもありえるかもしれない。もちろん、写真はそういった可能性へも開かれていてしかるべきだ。

 

 

しかし、僕が志向しているのは「規範からの"漂流"」。

 

規範から一直線に(真っ直ぐに/同じ方向に)逃げ出していくのではなく、方向を定めぬまま、規範からゆっくりと自分を押し流していく写真。

 

 

そして、規範的なものから離れていくことで、その写真を撮った本人だけではなく、その写真を見るものも規範的なものから離れていけるということ。見るものをこちらへと誘いながら、同時に彼方へと押し流すような。

 

集合写真を見るときには、写っている人を探すのが普通(であり規範)だし、水平線に沈む夕日の写真を見たら、その朱色に目が奪われるのが普通なのだ(繰り返しておくが、僕はそんな写真の在り方を否定しない)。

 

そうではなく、見るものの目を戸惑わせる写真。

印象派の画家たちが、私たちの目に(目が)どんな像を結ぶかを賭けたように(言い換えれば私たちの目にいくつもの可能な像を結ばせうるというその複数性/決定不能性を)、その写真が眼にどのように見出されるのか、という賭け。

 

 

   * * *

 

 

・事物の神聖化

 

ここで終わっておけば収まりはいいのだが、もうひとつの疑問が立ち上がってくる:なぜ写真に収めなくてはならないのか?なぜ、その印象を目に焼き付け、その瞬間を心に刻むだけでは不十分なのか?

 

 

私たちは、事物への尊敬を忘れている。

私たちがその景色を再び想起するとき、その想起さえも内的な規範に侵されないという保証がどこにあるだろうか。

 

僕は「事物を信じている」。ファインダーの向こうに見えた事物たちも、その画を焼き付けられたフィルムも。

 

だから、写真を撮るということは、事物の神聖化なのだ。

 

 

事物への信、それによって世界との関係を取り持つ。そうやって、自分の身体が把握するのとは別様に世界を捉える/捉えなおすこと。

 

そして、自分の身体が生きるのとは別様のありえた/ありえる生を生きる/生きなおすこと。写真はひとまずそんなところまで開かれているのではないだろうか。

ひとりごと

・自分の存在証明を書こうとすると、他人の存在否定になってしまうことに気づいて、書けなくなってしまう。

 

 

もっと直截に書こう。他人の存在証明が、僕の存在否定になっているということ。その事実がもたらす耐え難さ。

 

 

僕の存在が否定されていることそのものが苦しいのではない。自分の存在を肯定することが他人をも肯定することには必ずしもならないということ、それに気づいて手が止まり、自分の存在を肯定できないのがつらい。

 

他人による(鈍感な/無邪気な/無邪気さを装った)自己存在の証明。

 

 

僕も僕の存在証明を書きたい。一度ならず書こうと思ったが、知っている人間の顔がよぎると、何も書けない。

 

 

でも、以前に比べれば書けている方かもしれない。

何かを書くこと。きちんと書くことに向き合ったのは、そもそも自分の存在を、(他人から否定されるのはもちろんのこととして、)ほかでもない自分が否定しようとしはじめたことへの抵抗だった。

 

書くことが闘争だった時期というのが、間違いなくあった。

そうして、ひとまず精神の危機は去った。もし自分が書くことを始めなかったら、生きるために書くことを覚えなかったら、どうなっていたのだろう。

 

 

 

けれど、まだ自分の存在について書くことは難しい。

 

いつか書ける日がくるだろうか。けれど、そんな日が来たとしても、それはもはや遅すぎるのかもしれない、という感覚もある。

 

 

 

・写真について、数ヶ月ほど前から書きたいと思っていたことが、ようやく完成に近づいている。といっても、大したものじゃないかもしれないけど。

 

 

ささやかな自分の存在証明として、写真のことを……。

 

 

 

 

・帰国してから1ヶ月ほど。ずっと本を読んでいる。

 

 

あまり人と会えていない時期も続いた。帰国前は、あんなに人と会うことが楽しみだったのに、いざ連絡をとろうとすると、かなりエネルギーを使うことになって、億劫になってしまった。

 

次いで、なぜかわからないけど、あるときからTwitterもあまり開かなくなってしまった。わずらわしいわけではないけれど、なんとなく必要ないような気がしたから。

 

先日、ちょっと(かなり?)大きめの会に参加したことで、その障壁が少し取り除かれた気がする。けれどまだ、人に連絡を取ることが難しい。

 

 

 

とにかく、生活のモードが変わっ"てしまった"。いや、「生のモード」と言おうか。何かが変わった。

 

 

変わったと勝手に思い込んでいるだけで、実のところはあんまり変わっていないのかもしれない。ほんのささいな変化しか生まれていないのかもしれない。それに、変わってしまったモードを元に戻すことは、わりあい簡単だと思う。

でももうしばらく、その変化、その感覚を大事にしたい。

 

 

 

とはいえ、このいわば"非社交的なモード"から、だんだん抜け出ている感覚もある。それは、元に戻るという意味ではないけれど。

どっちにしろ、9月までこうして本ばかり読んでいるわけにもいかなかったのだから、潮時なのかもしれない。

 

 

でももう少しだけ、もうしばらくは、僕から積極的に人と会おうとはしないかもしれません。この前みたいに声をかけてくれるのは大歓迎だけど。

 

 

 

もう少し、このユートピア的な静けさに身を浸していようと思う。

ギリシャ旅行記(後編)

5/14(火): デルフォイ観光

 

さて、この日はコリントスへ行こうと思っていたのだが、前日のバスでコリントスの横を通り過ぎてしまい、なんとなく、もう一度同じ方面へ向かうよりも、全く別の方へ行ってみたくなってしまった。そこで、急遽前夜にデルフォイに行くことにしたのだった。

そのため、前々日の情報収集の際、デルフォイへの行き方は全く調べていなかった。しかし、ネットの情報によればアテネの2つのバスターミナルのうち、Liosionというターミナルの方に向かえば良いらしいということがわかり、これで満足してしまった。

 

   * * *

 

この日は30分以上は余裕を持って到着することができた。往復のチケットを購入し(32€と思ったより高かった)、バスへ乗り込む。

途中休憩をはさみつつ、バスはだんだんと山を登って行く。前日のミケーネ行きのバスとは少し風景が変わってくる。山肌をなぞるようにして、ゆっくり登って行く。

 

3時間ほどでデルフォイに到着。デルフォイはミケーネとは違い、ホテルも土産物屋も複数あり、少し観光地化していた。とはいえ、かなりの田舎、というより山の上に取り残された集落というような印象を受ける。

予報は雨だったが、曇りときどき晴れという感じで、暑すぎずちょうどいい天気だったのは幸いだった。

 

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バスを降りたあたりから。

 

朝から何も口にしていないので、ひとまずタベルナを探す。道を歩いているといくつかタベルナがあるのだが、どこもあまり安くない上に客引きがしつこい。客引きがしつこいっていうことは、客が寄り付かないような店だっていうこと。店の中をのぞいて見ると、案の定誰もいない。昨日のフィクティアのタベルナを懐かしく思い出すとともに、デルフォイの残念な部分を垣間見た悲しみを感じる。

しばらく歩き、適当なタベルナに入店。

正直、今回の旅行の中で一番印象に残らない食事だった。やっぱりデルフォイは観光客慣れしてるのか?適当な料理出してんのか?なんかそんなことを勘繰ってしまった。ちょっと高かったし。

 

店を出て、遺跡へと向かう。ちょっと悪い印象から出発したデルフォイ観光だが、歩いてみると魅力的な街だとは思う。街というか、集落が山肌にしがみついているような格好だ。そんなわけで、坂や階段がたくさんある。

 

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少し坂を登ったあたりからの眺め。

 

遺跡への道案内などは特に何もない。やはり観光客はほとんどツアーで来ていたようで、個人の観光客にとってはちょっと大変だった。適当に歩き回っても見当たらず、Google Mapで探した道は行き止まり。たどり着くまでが一苦労だった。

 

   * * *

 

例によって遺跡については写真の方が雄弁に物語ってくれるだろう。

デルフォイは、「デルフォイの神託」でも知られる古代都市。

 

 

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「世界のへそ」。

 

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アポロン神殿の遺構。ここで「デルフォイの神託」が行われていたのだとか。

 

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劇場跡。奥にあるのがアポロン神殿。こうして見ると、デルフォイの遺跡が山肌にしがみつくようになっているのがよくわかると思う。

 

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競技場跡。古代オリンピック競技が行われていたらしい。

 

遺跡を見終わった時点で、1時間ほど暇があったので、バス乗り場近くのカフェへ。結構高かったのだが、テラス席の景色が(無駄に)めちゃくちゃ良かった。カプチーノを飲みつつバスを待つ。

 

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カフェからの眺め。

本当に絶景だった。

 

定刻を15分ほど過ぎてバスがやってきた。バスに乗り込み、3時間ほど同じ道を揺られてアテネに帰る。

 

   * * *

 

さて、これがアテネでの最後の夜である。ギリシャではぜひシーフードを食べて帰りたいと思っていたのだが、未だありつけていなかったので、今夜は必ずシーフードを食べるのだという強い信念を持っていた。

 

というわけで、ちょっと人気店っぽいタベルナに入店。メニューを一読し、タコのグリルを発見。即決した。

ところが、注文したところ「今日はもうなくなった」と言われてしまった。というか、シーフード系がほぼないらしい。

どうしよう。シーフードは食べたいが、ここで退店するのも少し失礼な気もする。けれど、今日を逃すともうタベルナに行く暇はない……。そんなことを束の間考えたが、当座腹が減ってしまっており、もう一度タベルナを探そうという気力もなかった。結局、妥協して「クレタカルボナーラ」を注文する。

 

不本意な注文ではあったが、腹が減っていたのでやけに美味しく感じた。本当に美味しかったのかもしれない。それに、このパスタは結構お腹にたまった。

 

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写真も雑。疲れていたのだろうか?

 

満腹感と失望の入り混じった複雑な気持ちで宿へ向かっていると、あるタベルナの看板が目に入った。シーフードが売りのタベルナらしい。

今日はもう食べられないが、明日の昼に時間をつくって食べに来れないだろうか…?そんなことを考え、お店の人に確認。

 

「明日の昼は空いてるよね?シーフードちゃんとあるよね?」

 

先ほどの「シーフード売り切れ」がトラウマだったので、何度も確認する。どうやらあるらしい。必ず明日ここに来るという決意を固め、再び帰路についた。

 

アテネ最後の夜は予定通りいかなかったけど、無事デルフォイに行けたことへの安堵に包まれ、ともかくも宿に帰り着いたのだった。

 

 

 

5/15(水): エピローグ、 アテネ市内観光とイカフライ

  

最終日は、まだ見れていなかったアテネ市内の史跡を巡ることにしていた。古代アゴラやゼウス神殿に加え、アクロポリス博物館にも行く予定だった。

 

   * * *

 

朝、まずはアクロポリスを再訪。人がいない時間帯にパルテノン神殿をもう一度見たかったのだ。結果的に、人はそんなに少なくはなかったのだが、前回(日曜日)に比べて少し落ち着いて見学することができた。

 

 

パルテノン神殿から下りて、古代アゴラへ。ここはそれなりに有名なはずなのだが、時間帯的にツアー客がおらず、貸し切り状態だった。

 

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木々が多くてわかりにくいのだが、古代アゴラ。奥にはアクロポリスが見える。

 

次にアクロポリス博物館へ。ここはかなり新しい博物館だったのだが、個人的にはちょっと微妙だった。というか、エンターテイメントに振ってる感じで、あまり好きではなかった。ちなみにここも当然無料。

  

そして、ゼウス神殿。柱が高い。

 

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ゼウス神殿。現在は柱がいくつか残るのみ。

ちょっと「遺跡疲れ」している身だったので、劇的な感動はもはやなかったが、もし全ての柱が残っていたら壮観だっただろうな、としみじみ。

 

   * * *

 

史跡巡りのスケジュールを全て消化し、残すところはシーフードである。例によって朝食はとっていなかったので、ちょっと急ぎぎみに昨日目をつけていたタベルナへ。

店についてみると、ちゃんと営業していた。よかった。

 

 

メニューを一読する。シーフードのラインナップは充実している。というか、肉がない。全部シーフード。逆にすごい。

タコのマリネとイカのフライを選択。昼だったし自重しようと思ったのだが、後悔先に立たずと自分に言い聞かせ、白ワインをいただく。

 

 

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こんな感じ。

 

タコの方も美味しかったのだが、イカのフライが絶品だった。まず、熱々の状態でサーブされたのがよかった。イカそのものも美味しい、っていうか甘い。量は多めなんだけど、胴も足も耳もいたから飽きない。各部位のサイズから見るに、おそらく小さめのイカを丸ごと使っているのだと思う。

 

 

そんなわけで、ギリシャでの最後の食事は大満足であった。このあと宿に戻って荷物をピックアップしてから空港へ向かい、帰りの飛行機に乗ったのだった。

 

   * * *

 

後編はあっさりめでしたが、最後まで読んでくれてありがとうございます。他の行き先の旅行記も書けたらいいけど、時間もなくて無理そう。ひとまず、残りの日程を無事に終えて帰ってくることを目標にして、最後の1ヶ月を過ごそうと思います。

ギリシャ旅行記(前編)

○5/11(日): 前段、アテネ到着

 

この日は夜までクロアチアドゥブロヴニク(Dubrovnik)にいた。

 

本来、この旅行はギリシャ訪問がメインイベントだった。それなのにこの場所に寄ることに決めた理由は2つ。クロアチアに行ってみたかったということと、アテネ行きの安い飛行機が飛んでいたということ。実際、クロアチアらしさというよりは、旧共産圏の影とアドリア海のリゾート地らしさ(とそれに起因する物価の高さ)を感じることになったのだが。

 

というわけで、この日は21:50発の飛行機に乗る予定だったのだが、案の定遅延した。案の定というのには理由があって、この便はVoloteaというなかなか聞かない名前のLCCが飛ばしていたから、以前から少し不安を持っていたのだった。

結局飛行機は1時間以上遅延し、加えて1時間の時差もあり、アテネに着いたのは現地時間翌02:00頃。疲労困憊の中、小一時間バスに揺られて(立ちっぱなし!)、ようやく宿までたどり着いたのだった。

 

  

○5/12(月): アテネ市内観光、スニオン岬

 

アテナイのアクロポリス

 

そんなわけで、翌日は朝になっても爆睡していた。目覚めたのは10時くらいだったと思う。

遅延がなくともかなり夜遅くに着く予定だったということもあり、この日はあまり遠出せず、市内(主にアクロポリス)とその近郊(といっても道のりで100kmほどあったが)を観光することにしていた。

 

まず向かうはアクロポリスアクロポリスの徒歩圏内に投宿していたのはラッキーだった。道中の市場でイチゴを買って朝・昼ごはんにする。1€分と言ったつもりが、1kgと勘違いしたらしく、山盛りのイチゴを渡されてしまった。それでも2€くらいだったけど。

 

   * * *

 

アクロポリスを含む7つの史跡は、共通チケット(30€)で回ることができる。EUの学生はタダ。

 

・余談: ギリシャで回った史跡や博物館は全て、EUの学生は無料だった。今回の旅行で、少なくとも70€は節約できた。複数回入った施設の分も考えると、軽く100€は浮いた。

フランスでも多くの場合無料、少なくとも割引は存在する。でも、北欧や中欧では、EU圏の学生でも通常の料金を払わされることが多かったので、各国で格差があるのだろうと思う。その意味で、ギリシャには好感を持った。むしろ自国の経済は大丈夫なのかと問いたくならないでもないが、学生以外からはしっかりむしり取っているからいいのだろう。 

 

   * * *

 

日曜とはいえまだ5月なのに、アクロポリスは人が多かった。7月などはすごいことになるのだろう。

ここに登るに至ってようやく、アテネに来たのだという強い実感を得た。

 

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音楽堂。なんとまだ現役で使われているらしい。

 

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パルテノン神殿。人が多かったので後ろから。

 

どこを訪れるにしても、「2度目がある」と思うのはあまりよくないとは思う。でも、できたら残り3日間のうちどこかで、人がいない早朝に来よう、と思った。

 

 

・スニオン岬(ポセイドン神殿)へ、早速の受難

 

13:00過ぎ。この日のアテネ市内観光はひとまず終わり。次はスニオン岬なのだが、そこへ向かうバスと、翌日訪れる予定であったミケーネへ向かうバスが"問題"であることは、来る前からわかっていた。そのため、情報収集のために奔走していたのだが、これについては翌日の部分に書くことにしよう。

 

さて、ネット上の情報によると、スニオン岬行きのバスの発車場所と思われる位置はだいたい判明していた。発車時刻は、午後だと14:05、15:30、17:05(最終)とのことだった。

 

15:15頃、バス発車地点周辺に到着。ターミナルとかではなくただの道路で、バスが何台か停まっている。そして、歩道の一角に券売所のようなところがあった。どうやら運行会社らしい。

「スニオン行きはどこから発車するか?」と尋ねると、目の前から少し左側くらいを指差し、「ここだ」と言われた。

よかった、15:30のバスに無事乗れそうだという安堵感に包まれ、すぐそばのキオスクで水とアイスを購入。バスを待ちつつ、乗車場所の真ん前で悠々とアイスを食べる。この時は、完全に成功を確信していた。

 

アイスを食べ終わり、ふと時計を見ると15:29になっていたのだが、バスが来る気配はない。少し変だなと思ったのだが、間違えているはずはないという謎の確信とともにバスを待っていた。



15:35くらいになってさすがに少しおかしいと思い、先ほどの券売所の人に「バスはここに来るんだよね?」と聞くと、「違う、あっち!」と言われる。

 

え?

 

完全に意味がわからなかったのだが、どうやら先ほど左側を指差していたのは、真ん前の道路ではなく、その向こう側のスペースだったらしい。

 

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この図でだいたいお分かりいただけるだろうか

 

何が起こったのか考える暇もなく、とにかくダッシュで乗り場へ向かうものの、ここは始発停留所のため非情にもバスは定刻発車。なんと1時間半待ちが発生してしまった。

 

とはいえ、券売所のおじさんは何も悪くないので、しょうがない。ちょうど近くに国立考古学博物館があったので、そこで時間を潰すことに。「博物館で時間を潰す」なんてことができるのも、EU圏学生ビザのおかげである。ありがたい。

 

   * * *

 

17:00頃、無事バスに乗車。1時間半ほどバスに揺られて、スニオン岬に到着。

さて、このスニオン岬は、アテネの所在するアッティカ半島の最南端であるばかりではなく、ポセイドン神殿の存在でも知られる。

 

 

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ポセイドン神殿。

 

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神殿のそばから西方を望む。半島最南端とはいえ、島はたくさんある。

 

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帰る直前に。


 

 

20:00、アテネ行きの終バスに乗る。終バスが20時だと、日の長い時期は夕日までいられないのが少し惜しい。ツアーだと、夕日まで見て帰れるというのを売りにしている。個人手配だとそれはなかなかできない。

 

22:00頃に宿に帰ったのだが、お腹がペコペコ。この日は、アクロポリスへの道中で買った(買わされた)1kgのイチゴと、バスを逃しながら賞味したアイスしか食べていない。ということで、近くのタベルナへ。タベルナというのは、ギリシャ風食堂/居酒屋のこと。

 

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ギリシャ風サラダ。チーズがどでかい。

ギリシャ風サラダは、写真の通り鎮座している山羊のチーズが特徴らしい。これだけでもお腹いっぱいになりうるボリューム。

 

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ムサカ(moussaka)。底の方にはひき肉がごろごろ。

ムサカ(moussaka)というのは、ギリシャ風ラザニアらしい。これが本当においしかった。昨夜から大変な旅路であった身にしみわたるおいしさだった。とりわけ茄子の滋味を強く感じる。

 

宿に戻る。心身ともにかなり疲れていたので、この日も爆睡。こうしてようやく、ギリシャ旅行1日目が終了したのだった。

 

 

○5/13(月): ミケーネ観光

 

・序章 - 情報収集

 

さて、この日はミケーネに向かうことにしていたのだが、ミケーネへ向かう電車はない。というか、ギリシャ自体EU諸国と比べてあまり鉄道網は発達していないらしい。そこで長距離バスを使うことになるのだが、インターネット上の情報があまりにも少ない。

運行会社のHPには運行時間が書いてあるものの、肝心のバスターミナルに関する記述がなく、ただ「アテネ」としか書かれていない。旅行記やフォーラムにも断片的な情報しかない上に、そもそも旅行記を当てにするのはあまりにも心許ない。

 

本当にここはEU加盟の先進国なのだろうか……。ちょっと失礼だが、そんなことを考えた。経済の停滞があったにせよ、良くも悪くもこの国は少し古い生き方を続けているのだと感じる。ちょっと時計が戻っている感じ。そこに好感を抱くこともあれば、こうして困ることもある。

 

スニオン岬に関する情報は比較的多かったのだが、ミケーネと(後日向かうことになる)デルフォイに関しては情報が少ない。後から分かったのだが、こうしたいわば僻地には、普通はバスツアーやレンタカーで行くらしい。しかし、バスツアーに払う金もなく、異国で運転する資格も度胸もない自分は、できるだけ個人で向かいたいと思い、前日に情報収集をすることにした。

 

 

     * * *

 

 

まずはラリッサ駅(アテネ中央駅)へ向かってみた。中央駅とは書いたが、ラリッサはかなり寂れた駅だった。ここなら何か情報を得られるかという期待を萎ませつつも、インフォメーションの人に聞いてみると、以下のように言われた。

 

「おそらく2つのバスターミナル、リオシオンかキフィソスのうちのどちらかだが、どちらかはわからない。」

 

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ラリッサ駅の受付のおじさんの証言。メモを渡してくれた。

 

わからないのか……。早速挫折を味わいつつ、丁重に礼を言って撤退。

 

次は、先述のスニオン行きのバス乗り場へ。そのチケット売り場のおじさんに聞いてみる。曰く、

 

「キフィソスだね。」

 

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なぜかみんなメモを渡してくれる。優しい。

 

なるほど、やはりキフィソスなのだろうか。しかし、この国はいろいろ適当だし、2人に聞いてみたくらいでは安心できない。少し歩いたところにあるバス会社のチケット売り場でも同じ質問をしてみることにした。

 

この窓口の女性は、かなり丁寧に説明してくれた。 

「キフィソスからミケーネに行ける。キフィソスへは、オモニアから051番のバスに乗っていけば着ける。」

 

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めっちゃ丁寧に教えてくれた。

 

これでさすがに確実だろう。ミケーネに行くにはキフィソスのバスターミナルへ行けばいいことは間違いないらしい。少なくとも、この人の証言は最も信用に足るものだった。

こうして、謎解きアトラクションめいた情報収集を終えたのだった。

 

 

・バスでミケーネへ

 

当日は8時前に起床したと思う。シャワーを浴びて、まだ寝起きのままミケーネ行きのバスの時間を調べた。

正確にはわからないながらも、最も信憑性の高そうな英語のサイトによれば、今から間に合うバスは09:30、次が11:00らしい。天気予報によれば雨も降るらしく、できれば早い時間に行きたいと思ったので、間に合うかはわからないが(そしてそのバスがあるのかもわからないが)09:30のバスを目指し、ホステルを出た。なぜいつもこう、事前に調べるということができないのだろう。

 

キフィソス直通のバスがあるらしいのだが、道路状況によって平気で遅延する可能性もあるので、地下鉄で向かう。

 

最寄りの地下鉄駅に降りたのが09:15。バスターミナルまでは1km以上あるらしい。チケットも買っていないので、やむを得ずタクシーをつかまえる。

何分で着くか?と聞くと、首をひねりながら"traffic"と言われた。やはり道路状況によるということなのだろう。少し不安になるも、結局5分ほどで到着。

ギリシャのタクシーは安めなのだろうか、道のり2kmで3.7€ほどだった。チップを渡しても5€いかない。

(余談だが、パリだといくら短くても最低7€は払わないといけないというルールがある。だからUberなんかを使いたくなるわけだけど。)

 

さて、チケット売り場とおぼしきコーナーへ。どうやらネットの情報通り、09:30発のバスがあった。往復のチケットを購入し、目の前に止まっているバスへ乗り込む。

 

バスは定刻に発車した。

バスの目的地はナフプリオンという港町で、その途中にフィクティアという街がある。そこからミケーネまで数kmで着けるということらしい。

 

11時頃。「ミケーネ、フィクティア!」と運転手さんが告げて、バスが止まった。

なんと、40人ほどの乗客のうち、ここで降りたのは自分一人だった。さすがに数名は他にミケーネに行く人がいるだろう、そしてその人たちと情報交換しつつ向かえるだろう、と思っていたのだが……。

 

噂には聞いていたが、本当に何もないところに降ろされた。ともかく、すぐそこにあったお店に入って、ミケーネへのアクセスを聞いてみる。お店の女性が親切に教えてくれたのだが、やはり徒歩かタクシーということになるらしい。タクシーは5€らしく、お店の人が呼んでくれると言ってくれたので、タクシーで向かうことに決めた。

ただ、朝から何も食べていないので、腹ごしらえのために近くにあったタベルナに入った。

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タベルナ。フィクティアがどんなところか、だいたい想像いただけるだろうか。

お店のおじさんにおすすめを聞き、ザジキ(tzatziki)とスブラキ(souvlaki)をチョイス。

 

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ザジキ(tzatziki)。けっこうぎょっとする見た目ではある。

ザジキは、オリーブオイルをかけたヨーグルトにパンをディップする、って感じ。字面はすごいことになっているのだが、これが美味しい。ヨーグルトの味が独特で、普通のヨーグルトではなくていろいろ味付けされてる。

 

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スブラキ(souvlaki)。一見焼き鳥っぽいのだが、味の方向性は「塩焼き鳥」とは全然違う気がする。

スブラキの方は、肉の串焼きのこと。鶏のスブラキをお願いしたのだが、これも美味しい。塩味は薄く、あくまで香草とレモンで食べるのが現地流ということらしい。

 

こんな辺鄙な場所のタベルナに来れたのも、何かの巡り合わせかもしれない。とにかくおいしかったし、安かった。

 

     * * *

 

さて、腹ごしらえを終えて、タクシーを呼んでもらおうとさっきのお店へ向かうも、先ほど応対してくれた親切な女性は休憩に入ってしまったのか、見るからに堅物なおじいさんが店番をやっていた。

「タクシーを呼んでほしい」とお願いしてみたのだが、自分で呼んでくれとのこと。まあそれが普通だよね。

で、タクシー会社に電話すると、「全車出払ってるから無理」というようなことを言われ、切られてしまった。かくなる上は歩くしかない。

 

ということで、とぼとぼ歩き始めた。道のりにして5kmほど。ミケーネは丘の上なので、行き(上り)はタクシーで行きたかったのだが……。

 

と思って歩いていると、横に車が止まり、「上まで乗っけていってやる」と言われた。結構つらそうな道のりだったので、お言葉に甘えて乗せていってもらった。ありがたい。

 

運転してたおじさんは、道中ずっと"Fuji!" "Tokyo!" "Kawasaki!"などと、知っている日本の固有名詞をずっと口に出していた。ちょっとよくわからなかったのだが、どうやら日本にいたことがあるらしい。ありがたい話。

 

そうしているうちに、丘の上に到着。さすがにありがとうで済ませるのもどうかと思い(それなりに長かったから)、少しお金を渡そうか、それはさすがに無粋だろうか、と考えていたのだが、なんと「トランクに積んでいるオレンジをあげる」という予想外のカウンターをもらってしまった。結局、送ってもらった上にオレンジまでいただき、何度もお礼を言ってお見送り(彼らはミケーネに向かっていたわけではなかったのに僕を拾って行ってくれたのだ)。 

 

     * * *

 

さて、肝心のミケーネ遺跡なのだが、これは写真の方が雄弁に物語ってくれるだろう。

 

まずはアガメムノンの墓。

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アガメムノンの墓、入り口。

 

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内部はこんな風になっている。

 

次いで、少し歩いたところにある宮殿(城塞)。

 

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手前にある小高い丘の、城壁に囲まれたあたりが遺跡。

 

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卑近な連想なのだが、建物の跡から草花が顔を出しているのを見ると、『ラピュタ』を思い出してしまった。

 

 

 

正直、僕は全然ギリシャ古代文明とかものすごく興味あるわけじゃなかった。ただ、専攻の先生から「ヨーロッパ旅行するならギリシャは絶対に見て来なさい」と言われたので、予定に入ってなかったギリシャを追加して旅程を組んだという経緯がある。

 

ミケーネ文明が興ったのは約3500年前、海の民に滅ぼされたのがそれから約300年後。世界史やってないからちょっと調べていっただけだけど。果てしない。

そして、(ミケーネはまた違うけど)ギリシアの文明が私たちに及ぼしているもの、とてつもない。そんな感じで、なんだか神妙な気持ちになってしまった。

 

 

 ・帰路、またの受難とアテネの危険地帯

 

さて、遺跡見学を終えて帰ろうという段になったのだが、どうやらミケーネからフィクティアまでバスが出ているらしい(フィクティアからは出てないのかよ)。駐車場にいる観光バスの運転手やカフェスペースの店員らが口を揃えて「3時にバスが来る」というので、それを待つことにした。歩いてもよかったのだが、雨も降っていたし、結構疲れていたし。

 

果たして、そのバスは(10分遅れだったが)やってきた。「このバスはフィクティアに行くよね?」と運転手に入念に確認し、乗車。路線バスじゃなくて高速バスみたいな車両が来たのだが、自分を含めて3人しか乗ってなかった。

 

先ほど車に乗せてもらって登ってきた道を下りていく。やっぱりけっこう距離がある。

 

で、フィクティアのバス乗り場周辺まで来たのだが、バスはここをスルー。どんどん進んでいく。

 

「ここで降りたいって言おうかな?」と思ったのだが、もしかしたらこのうら寂れた場所はフィクティアの中心地ではなく、このバスはその"中心地"へ向かっているのかもしれない、と思い直してやめた。

それに、Googleマップなんかずっと見て"保守的な"旅行をするのもなんだかなあ、という意味のない強がり(これも「自力で/自由に旅行すること」への信仰だろうか?)もあり、バスが行くままに任せていた。

 

しかし、10分くらい経って、さすがにおかしいと思ったので、「このバスはフィクティアに向かってるんですよね?」と聞いてみると、運転手は"あっしまった…"とでも言いたげな顔をしてみせた。

 

こいつやりやがった。「フィクティアに行くんですよね?」って確認したのに。ていうか乗客3人しかいないのに。何考えて運転してるんだ?

 

確かにバス乗り場にさしかかったあたりで「ここで降ります!」って言えばよかったのかもしれないが、それは結果論だろう。運ちゃんが「フィクティア?OK!」って言ってたんだからさ…。

 

といろいろ考えつつも、隣町のアルゴスまで到着。あとから調べてみると、フィクティアから10km以上離れている。ほんとなんなんだろう。

 

とはいえ、どうやらフィクティアからアテネに帰るバスは、ここにも停まるらしい。ナプフリオン→アルゴス→フィクティア→アテネという順番でバスは運行するので、ちょっと遠回りにはなるが、ともかく1本でアテネに帰れる。事情を説明すると、追加料金などはなしで乗っていいとのこと。

幸運にも、アルゴスに着いて10分ほどでバスが来た。アルゴス自体も遺跡があるらしいのだが、さすがにこれ以上の面倒ごとは勘弁なので、そそくさとバスに乗ってしまった。

コリントスなんかにも停車しつつ、18時頃にアテネに到着。ご飯を食べるにはまだ早いので、前日も訪れた考古学博物館に向かうことにした。なんとここは毎日20時まで開いている。

結局この日も見終わらなかったので、閉館時間20時頃に博物館を後にしてタベルナを探す。

 

空腹ではあったが、街歩きも兼ねて適当に歩きながらタベルナを探すことにした。

 

     * * *

 

博物館から宿の方向へなんとなく歩いていたのだが、途中で道を間違えてしまった。それに気づいたのは後の話なんだけど。

 

そもそも、アテネの都市設計(?)ってけっこう独特なものがある気がする。というのも、大きな通り同士って普通直角に交差すると思うんだけど、アテネだとそれに加えて斜めにぶっとい通りが走ってるパターンがあった。だから、なんとなく歩いていると、横断歩道を渡っているうちにその斜めの道に入っちゃう。どの通りも同じような店が続いてたし。

これが微妙な角度で交差してたらまだいいんだけど、ほぼ斜め45度で交差してるからタチが悪い。どういう角度で歩いて来たかわかんなくなっちゃう。自分は方向音痴ではないと思うんだけど、アテネではこういうところにアジャストできず、全然違う方向にずんずん歩いていっちゃった。

 

というわけで、道を間違えたことに気づいたときには、けっこう外れたところに来ていた。で、細い路地を通って宿の方向へ向かおうと考えた。タベルナも探したかったし、街歩きにもちょうどいいやと思って。

 

少し行くと、ホテルやレストランなんかがなくなり、その代わりに道に散乱しているゴミがどんどん増えていった。そして、あきらかに道行く人の"人種構成"が変化していった。

 

自分がパリで住んでいる街というのも少しそういうところがある。黒人が多いし、いわゆる"パリ"って感じじゃない。でもその代わり、物価は安い。

だから、そういうのに慣れて、感覚が麻痺しちゃってるところがあると思うんだけど。多分いわゆる"普通の日本人"が来たら裸足で逃げ出すんじゃないか、そういう感じの通りだった。

 

でも、そんな自分もさすがにかなり不安になってしまった。何しろ、土地勘が全くないから、何かあったときにどこに逃げればいいのか?っていうところもある。かといってスマホGoogle Mapをずっと見ていると(しかもアジア人が!)、犯罪者からすれば格好のカモなわけで。

というか、パリにある"こういう"通りの何倍も"ヤバい"感じがした。そもそも、街灯が少ないから、めちゃくちゃ暗い。それに、明らかに挙動がおかしい人が何人もいる。ずっと同じところをぐるぐる回っている人とか。歩道にしゃがんでうずくまっている人もたくさん。完全にヤクやってるよね。変な匂いが充満していることはいうまでもない。

 

 

いくら街歩きとはいえ、こんな見るからに危ないエリアからは脱出すべしと思い、結局このエリアからは早々に撤退。前日と同じエリアに向かい、タベルナに入った。前日の家庭的な(?)タベルナとはちょっと違って、テラスで音楽なんか演奏してる、そういう感じのとこ。

 

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サラダ。具材が細切れなのは店側も楽なんだろうけど、実際食べやすくもあった。

名前忘れちゃったけど、ギリシャ風サラダの亜種だった。バルサミコ酢が入っていたのだが、こういう感じになるのねって思った。玉ねぎがおいしい。

 

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またスブラキ。

またスブラキ。スブラキっていうのは羊肉でやるのがメインらしいので、ここでは羊をチョイス。バス移動中『イリアス』読んでたんだけど、『オデュッセイア』にしろ『イリアス』にしろ、肉といえば「牛」か「羊」か「山羊」だよなあ、と思う。鶏とか豚ではないよね。遺跡見たあとだったっていうのもあって、「これが古代の人々の食べていた肉の味だったのか...」などと感慨に浸っていた。今見返すとポテトとか満載なんだけどさ。

 

そんなわけで、ギリシャ旅行の前半を折り返したのでした。読んでくれてありがとうございます。後編もお楽しみに。