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最近のこと

 全然書いてなかったので、最近あったことについて書こうと思います。

 主に合宿です。




 行く前は、こんなに収穫が得られると思ってなかったというか...正直秋合宿のイメージが強すぎて。秋合宿ってほんとに何しに行ったんだ感がありました。それは、自分の体調管理(というか飲み過ぎ)もあったし、それを抜きにしても、疲労困憊の中ただただ日程こなしていくみたいなとこがあったので。。


 今回は、ゴリ押してスケジュールかなり変えてもらいましたが(主に休憩増&練習減)、やってよかったー!と思いました。それでも、かなりきつかったのではないかと思います。

 自分の中では、合宿の期間だけ前後の時間軸から切り取られているような感覚が今でもあります。それは、みんながめっちゃ集中して音楽してくれたからだと思います。最後の通しとかすごくよかったし。合宿での音楽経験(?)は、駒祭の次か、駒祭に並ぶくらいいいものでした。(駒祭はブラアカに入ってから最高の音楽体験でした。)


 あと、音楽以外のこともいろいろ楽しかった。ごはんとか全体会とか、毎朝の湖1周と山登り×2とか。惜しむらくは、1年会途中で抜けちゃったこと。自分一人の体ではなくなったし、合奏中にほんの少し眠いとかもあってはいけないと思い、万全に万全を期して10時に寝た結果、翌朝は5時に目が覚めました。秋合宿では、もう少しは夜更かししてもだいじょぶそう。




 昨日は新歓ゲネでした。アンサンブルはアレでしたが、アルセナールはとてもよかったと思います。マードックは、よかったけど、もうひとつよくなると思います。口先や指だけでは、なかなかいい音楽はできませんね。


 新歓演奏会、いいものにしたいですね。明日からも練習がんばります。

「説明的」という言葉が、最近の自分の中のキーワードの一つになっているかもしれない

 最近は(特に年が明けてから)、余暇もできたので、いろいろな演奏会に行ったりなんだりで芸術に触れる機会が増え、とても充実しています。もちろん、音楽、特に吹奏楽やクラシックの演奏会に行くことも多いですが、美術館に行ったり映画を観たり、というのも結構あります。例の箱根旅行も然り。この前のぶらうぉーでの所信表明にも書きましたが、こういう芸術(だけじゃないけど)にいっぱい触れることが、とっても大切なことだと思っています。音楽にももちろんつながるけど、やっぱ人間として(?)ですよね。


 で、いろんなものを体験する中で、自分の頭の中にちらついているのが、「説明的にならない」ということです。

 


 一番最初に思ったのは、去年の12月、会期終了直前のモネ展に行った時です。よく、「印象派は光を捉えて描き…」とか言いますが、あれは本物を見ないとわからないんじゃないかな。とにかく、色の使い方がすごいっていうか、見入ってしまうんですよね。そりゃ、写真みたいにきれいで正確な絵もそれはそれでいいし、モネの絵は、割と正直何描いてるかわかんないこともある(説明がなければ。特に後期は)けど、すごく訴えかけるものがあるのは確かでした。


 それとか、ちょっと違う話なんですけど、こんな言説を見たことがあります。「「花はきれいだ」という文章がある。すると、ある人は、「きれいじゃない花もある」と言う。けれども、そこまで言ってしまった「花はきれいだ、きれいじゃない花もあるけど」という文章は全く無意味なものになってしまう」

 

 その頃ぼくらは定演の練習をしてて、クレッシェンドはこんな形で、とか、音量はこのくらいで、とかそういうことをやってた。そのときぼくは、すごい説明的な音楽だな、と思いながら練習してました(批判する意図はあんまないので勘違いしないでくださいね)。もちろんしょうがないところはあって、合奏でいろんな部分取り出したりテンポ落として練習したり音程合わせたりっていうのはすごくグロテスクな営み(だとぼくは思っている)だし、そういうのを整理していくのは合奏の役割の一つではあるし。でも、そんなことばっかり合奏でやってて、とにかくすごく説明的だなって思ってました。


 そんなことっていうのはつまり、あの頃やってたことってだいたい口で説明できることでしょ?音量とかテンポとか縦とか。

 

 よく、我々がこうやって演奏してるのは「二次創作」だって言いますよね。「一次創作」っていうのは作曲者がしてることです。なのでもちろん、楽譜通りに吹けば、作曲者が意図したある程度の演奏効果が出るわけです。でも、そういうことを完璧にやってくれる機械に演奏させても、全然音楽としてはダメで、やっぱり奏者が二次創作をしないと、つまり奏者が音楽を作っていかないといけない。

 で、それってあんまり説明できないことなんじゃないのかなと思います。ていうか、全部完璧に説明できるなら文章に書けば済む話なのであって、それでは全然表現できない、音楽でしか表現できないからぼくたちは音楽やってるんじゃないんですかね。

 絵とかもそうじゃない?モネの、一面の雪に朝日が反射してる絵(名前忘れた、よかったら調べてみて)とか、霧が出てる絵(同じく)とか、写真に撮って印刷すればそれはそれでいいし、例えば(同じ日同じ時刻に行けないという議論は無しにして)その場所に行って見ればいいみたいなこと思う人がいるかもしれない、けど、彼の筆でしか表現できない空気感みたいなものがあるんではないかなと。(伝われ)

 

 たくさん演奏会やら展覧会やらなんやらに行って感じたことは、やっぱりどの作品、演奏も説明的なものが一つもないんですよね。やりたいこととか表現したいことが、言葉を媒介しないで、すっと入ってくる感じ。(伝わってるかな)


 例えば、音楽の流れに乗って自然にクレッシェンドしてたら、聴いてる人は、別に「クレッシェンドしてる」とは感じませんよね。無意識に向こうの音楽の流れに乗るだけです。(クレッシェンドっていうのはそれ一つ独立してみえるものではなくて、音楽の流れを作る要素の一つ。) でも、音楽の流れとか何もわかってなくて、ただ機械的に「ここはこの音量からこの音量までクレッシェンド」とかいう感じにやると、聴いてる人は「この音量からこの音量にクレッシェンドした」って感じる。それは、ぶつぶつ切った部分部分だけを完成品の部品にしようとして練習してるから。そうやってグロテスクに解体した部分だけ練習してたら、音楽の流れとか分からないだろうし、況してそれを統一できますか。

 


 もちろん、音程とか縦とかいうのはすごく大事で、ぼくもそれは合奏で第一にやるべきこと、というか、前提?だと思います。それができてないと、極論音楽じゃないし。


 今、とにかく表現とかの前に音程が悪い、それが気になるっていうのは、大きな課題だと思います。これは、個人練で解決してほしいというのが本音だけど、うちはサークルだし、そこまで強制できないから、自分が基礎合奏やら合奏やらの中でやっていかないとなーと思っています。それと、合奏をいいものにして、「音程を合わせたい」とか「音程良くなりたい」とか「縦揃えたい」とか「もっと個人練したい」とか思わせられるようにしたい。「しなきゃ」じゃなくて。音程合わせろって言ってやらせてるうちはいいものできないんじゃないかなーと。そのためにどうしたらいいかは模索中。まずは、いっぱいいい音楽を聴いてほしいんだけど、それも押し付ければいいってもんじゃないからなー。(ちょっと前はいろんな人にそういうのを聴け聴けって押し付けてきたので、それは反省。人それぞれの価値観もあるし。)

 それに、訪問の曲はポップスばっかりで、楽譜通り吹くに尽きるって感じの曲が多くて、あんまり二次創作とかいう段階はない(曲は嫌いじゃない)ので、今はどうしようもないけど、マードックとかやるときには、説明的な音楽にならないようにしないとなーと思ってます。というか、そういうところは早くクリアして、さらに上の段階にいきたい。それが大変なんだけど……。


 でも、やる自信はあります。というか、やらなくちゃいけない。私たちは、一人ひとり音楽家でなければならない。演奏会本番直前になってまで、メイン曲のテンポが定まってないとかは、切なすぎる。せっかくいい曲なんだし、しっかり曲を咀嚼して、表現できるようになりたいものです。(この前書いたマードックのストーリーは、その咀嚼に役立ててほしいという趣旨のものです)

 

 

 訪問の曲は、楽しい曲ばっかなので、それが伝わればいいな。生徒が100人いて1人でも、なんだか楽しい、音楽っていいな、って思ってくれる人がいれば、本望です。幸せであります。

 そして、この話を100人に1人でも理解して、共感してもらえる人がいれば、やはり幸せなのであります。

明日は訪問ゲネ

 最近は訪問の練習ばかりになっています。訪問は、ポップス曲メインで曲数は多いので、練習の組み方が難しい……とか言いつつもうゲネになってしまいました。


 訪問は、乗るって人も少なくて、合奏どんな感じになるんだろうって思ってました。有り体に言えば、全体のモチベが低いんじゃないかって思ってたってことです。ポップスばっかりだし、簡単でしょみたいな。


 実際、最初の方はそういう感じを嗅ぎ取って、ヤバイなと思いました。で、基礎合奏からきちんと妥協しないように取り組みました。曲も、縦が合ってないとか、吹けてないとか、それなりに厳しくみました。高校の時に比べたら全然だけど、それでも今までの合奏よりは大変だと思います。

 

 そうすると、けっこうみんなついてきてくれて、最近の合奏はとても楽しい。集中してくれているので、いろんなこと言っても全部やってくれる。

 


 はっきり言って、(この前の帰りの会でも言ったけど、)このまま訪問やろうと思えばやれるという段階になってます。曲も演出も、ところどころミスはあるけど、それなりにできてるし。


 でも、せっかくやるからには、「それなり」ではいけないと思っています。フレーズの流れとか細かい縦とかハーモニーとか、そういうところまで詰めていかないと。ましてやミスとか、違和感がある演奏とかは×。演出も、1人でも間違えてたらダメです。

 


 …….と書いて明日のゲネへのプレッシャーを高める11時過ぎ。みんな確認しといてー笑

マードックについて(完結編)

 いよいよクライマックスです。


 ・O

 昨日も書いてしまいましたが、ここからは天国のマードックを描いていく場面だと思います。このOはその始まり。天国へと昇っていくマードックと、彼を暖かく迎え入れる神様(or天使たち?)を描いている場面です。

 樽屋氏は、キリスト教に関連する事柄を題材に取ることが多いです。この曲はそういうわけではありませんが、まず楽曲解説にもある通り、アイリッシュな曲です(タイタニックを所有していたWhite Star Line社はイギリスの海運企業。マードックスコットランド出身です)。また、マードックはクリスチャンです(当然だろうと思いましたが、一応調べました。結婚式をセント・デニーズ教会というサウサンプトンの教会で挙げていることから分かりました)。

 やはり、樽屋氏の作風にも曲の背景にも、キリスト教というのがあります。なので、ここ以降は、天国へ行ったマードックを描いていると解釈するのが自然かなと思います。


 ・P

 音楽は緊張と緩和でできています。この話は長くなってしまうと思うので割愛しますが、たぶんだいたいわかってもらえるのではないかと思います。

 で、Oの場面は緩和している場面です。幸せとか、心地よいとか、そういう感情が前に出ています。しかし、Pでは、少し緊張が出てきます。悲しいとか、切ないとかが顔を出していると思うのです。

 天国に行くということは、幸せなことでしょう(地獄に落ちなかったという意味で、また美しく理想的な世界に住むことができるという意味で。天国は理想的な世界であるからこそ、絵画や音楽など、美しい形で様々に表現されてきたのです、きれいじゃない天国の絵とかないでしょ?……とかは長くなるので割愛)。ですが、愛する人々との別離というのは、悲しいことです(死というものがそれほど悲しくこわいものだったからこそ、死後の世界である天国を殊更に美化したのではないでしょうか……とかも割愛)。それに、冷たい海(零下2度だったそうです)で死んでいくのがどれだけ寂しくて痛くてつらいことだったか。

 Oからのクライマックスの場面で、一番切なさが前面に出てくる場面は、このPです。この場面で描かれているのは、こうしたマードックの内面、天国に行けたとしても癒されることのない傷なのかな、と思います。


 ・Q

 Oと同じ旋律に戻ってきます。場面も、緩和の場面になってきます。旋律も伴奏も厚みが増すのは、天国の世界とか、神様とか天使とかが、マードックの悲しみや痛み、切なさを感じ取って、癒そうとしているのかなーとか思います(完全に妄想)。


 ・R

 ものすごくドラマティックですよね。普通に幸せに天国で暮らしていきました、とかいう感じではないです。なにか圧倒的な喜びのエネルギーを感じます。

 (で、ここからもかなり想像なのですが、)マードックは最後まで乗客の救助に尽力したと史実にあります。事実、彼は右舷側で指揮を執っていたのですが、左舷側よりも生存者が多かったとのことです。マードックが、文字通り命を懸けた結果、多くの人が救われた。これを、マードックは天国から見下ろしていると思うのです。

 彼はどんな気持ちでしょうか。自分は死んでしまい、手紙を書くことも、船に乗ることも、愛する人々と会うことも叶いません。しかし、彼の献身によって、数百人もの人々が、自分のような目に遭わずにすんだのです。マードックにとっては無上の喜びだと思います。その感情が前面に出ているのではないでしょうか。

 でも、100%うれしい幸せという感じではないです。冒頭とは違って、胸が引き裂かれるような感じも受けます。これは、Pで書いたような感情を背負っているからかなと思います。


 ・S

 Sの2小節前から、5連符や変拍子が現れます。冒頭、Aのところでも書きましたが、時空を揺らしてる感じがします。そう、私たちはマードックタイタニックのいる世界から、元の世界に帰ってきます。
 
 それで、ここで出すのはタイミングがアレなのですが、樽屋氏の楽曲解説の最後には、「マードックからの最後の手紙を”読む”ように聴いていただけたらと思います。」とあります。私たちは、冒頭でマードックの手紙を見つけます。そしてそれを今まで”読んで”、本来の手紙には書かれていないはずのマードックの死後も含めて、追体験してきたのです。

 そして我々は、Sで元の世界に戻ってくるのです。マードックの悲しい感情も喜びも全て呑み込んで、ここでは何が表現されるのかというと、それは各人の想像に任せるべきことだと思います。というのも、ここで表現されるのは、この物語(音楽)を経て得たものだと思うからです。私たち、あるいは友人、あるいは家族が生きているということへの喜びであったり、神の存在への崇敬の念だったりするかもしれません。しかし、それはこれ!と断定することができるものではないと思います。ここまでの物語を経て、各人の胸中に去来するものであると思います。それが何なのか、感じ取るにはまだあまりに合奏が足りません。たくさん吹いていくうちに、わかってくるのではないでしょうか。それこそが、この音楽を通して得るものなのかもしれません。

 


 ということで、終わりです。よかったらみなさんもいろいろ想像してみてください。

マードックについて(続々編)

    まず、昨日の分の補足を。


 Piu MossoのShips Bellについてですが、氷山発見後見張り員が鐘を鳴らした、という記録があります。ので、やはり昨日の解釈で妥当かなーと(それだけです)。



 正直なところ、ここからの荒れる場面は物凄く好きというわけではないので、ちょっと適当になったらごめんなさい。



 ・I、J
 ここでは、もうタイタニックは氷山にぶつかってしまっています。どこでぶつかったか、というとよく分かりませんが、強いて言うならIのところのダブルバーの瞬間かな。

 で、直管の旋律はけっこう力強いです。タイタニックは世界最大の客船であり、沈没するということは当時考えられませんでした。ですから、危機感は感じ取れるものの、焦燥感とか、そういうものはあまり感じませんね。直管に割り振られていることからも、力強さを出すところです。

 また、映画にも描かれていますが、沈没する直前まで、事故に関して楽観的な乗客も多数いました。それほどにタイタニックの沈没はありえないことだと思われていたのでしょうが、これが、87小節目からのメロディーではないでしょうか。楽観的な気持ちと不安がないまぜになったような感じです。

 Jでは、層も増し、その感じが強まります。


 ・K

 Kでは、少しテンポが落ち、勢いは落ちたように思います。というか、IやJではある目的地に向かって驀進する巨軀の姿が見えますが、ここでは、目的地に向かって進むというより、あたふたしている感じがします。

 木管の連符は、直感的には海を表しているように思います。乗客が焦っている様子にも見えます。マードックら乗員が、救命ボートに乗客を乗せるのを急いでいるようにも聴こえます。とにかく、いろいろなものが入り乱れているようです(これ!といういい着想はありませんが)。そして、105小節目にある金管木管低音の動きは、漠然とですが、「沈没」とか、その恐怖みたいなものかなと思います。


 ・L

 難しいですね。いろいろな楽器が吹いていたのですが、ここではほぼ1つ(Bodhran Solo)です。たくさん人がいる中でクローズアップされるべき人。この作品ではマードックをおいて他にいないでしょう。

 彼が何を思っているのか分かりませんが、史実にあるのは、彼が最後まで勇敢に乗客の救助に当たったということ。この4小節の中でも、少し変化を感じます。つまり、大まかに見れば、前の2小節よりも後の2小節の方が、力強さや決意を感じます。具体的に譜面で見ると、アクセントが強拍にきていること、アクセントの音の多さ、B.D.のリズムなどからみてとれるのではないでしょうか。特に最後は、彼の決意を感じます。


 ・M

 Mでは場面が戻りますが、完全に同じわけではなく、Hrn.,Sax.の上行音型が焦燥感、また避けられない船の運命を感じさせます。そしてAccel.によりそれは加速していき、5度(4度)のTuttiで。

 何回も映画の話になってしまい申し訳ないのですが、映画では、船が真っ二つに折れてしまいます。そして、船首と船尾をそれぞれ上にして、沈んでいってしまうのです。このTuttiはまさにその場面ではないでしょうか。少し想像してみてください。主人公は船尾にいます。船が折れ、だんだんと船尾を持ち上げるようにして船は傾いていきます。そして、船尾が最高点に達してから、沈み始めるまで、奇妙に安定する一瞬がありますよね。119小節目と120小節目の間の小節線(Tuttiが終わった瞬間)がそこかなーと思います(伝わってるでしょうか笑)。そうなると、TuttiまでのAccel.は、だんだん船が傾いているようにも聴こえます。

 そして、Kで言及した「沈没」のテーマが戻ってきます。そして最後はそのTuttiですね。船は沈没してしまいます。


 ・N

 ここも難しい場面ですが、既に船が沈んだのは明らかです。では、沈没後、人々が漂流している様子なのでしょうか。

 自分は絶対に違うと思っています。これはマードックの物語であり(途中映画を着想に使いましたが、あくまでアイデアとしてです)、そしてそのマードックは沈没した船と運命を共にしています。先ほど、Mで船が沈没したと書きましたが、更に言えばマードックが死んだのです。となると、ここはどんな場面なのでしょう。

 またまた先取りしてしまう形になりますが、Oからは、死んだマードックが天国でゆっくり温かく迎え入れられる場面だと思っています。Mではマードックが死に、Oでは天国へ。ということは、その中間のNは、マードック(の意識)が、自らの肉体の死に気づいた、そんな場面ではないでしょうか。自分は死んでしまったのか。そんな、声にならないつぶやきが聞こえるような気がします(ちょっと言いすぎかな?でも独白という感じがめっちゃします)。



 さて、今日はここまでです。読んでくださってありがとうございます。おそらく明日完結です。

マードックについて(続編)

 まず、昨日書いたところなのですが、自分の中で異説が出ているので、それについてまず書いておこうと思います。

 Aのところ、自分は映画から着想を得て、過去へ向かう場面と書いたのですが、冒頭、Aで使われている旋律は、後になってそのまま登場します(具体的にはR以降)。先に書いてしまうと、そこは死後のマードックを表現していると思っています。いわば、マードックの旋律です。そうなると、同じ旋律が使われている冒頭やAの場面にマードックが既に登場しているのでは?

 そこで、昨日書いた「遺品」というのをマードックの手紙とすることにしました。誰かは分かりませんが(もしかしたら我々奏者が?)、現代になってマードックの手紙を見つけます。これが冒頭。

 で、Aは「女性が過去を語り始める」と書いたのですが、それでは映画に寄りすぎですね(やや反省)。手紙を見て、発見者(我々?)が過去に想いを馳せる、という感じかな。そして、マードックが船室で手紙を書いている様子が見えてくると、しっくりきませんか?

 さて、続きを見てみます。

 

 ・C、D
 自分の中で、6/8拍子というのは、かなり「海」のイメージが強いです。これは、あまり他の人に言っても理解されないのですが。

 まあ、それは置いておいて、ここは明らかに航海中ですよね。乗客の楽しげな気分が伝わってきます。もしかしたら、踊っている人たちもいるのかもしれません。Dは層が厚くなり、その雰囲気が増します。

 

 ・E
 木管楽器はさっきの旋律に似た動きをしています。これは、さっきと同じ、乗客の楽しげな気分が表現されています。ですが、この場面の主旋律はSax.やHrn.,Euph.です。CやDに比べて細かい音は減り、雄大な旋律です。ここからは先ほどの光景に加えて、広大な海と、そこを走る大きな客船が見えてきます。

 

 ・F
 どうやら夜になり、楽しい時間は一旦終わり、という気分ですね。それは、さっきの木管の旋律が、各楽器のSoloを経てだんだん落ち着いていくことからみてとれます。62小節目のPicc.,Fl.1stの掛け合いなんか、「おやすみ」「またあした」ってあいさつしてるみたいですね(これは完全な妄想)。ただ、各Soloにどういう意味があるのか(特にそのあとのCl.のSolo)、まだいい着想はありません。

 

 ・G、H
 これは、マードックの旋律の変形ですね。まず、マードックの旋律の”基本形”は、冒頭、1,2小節目の旋律です。4つの音で下行して、その後上行に向かう、という感じです(文で説明ってしにくいですね)。ここの旋律は、それに似ています。しかも、今は乗客が寝静まった夜、マードックがすることは……やはり手紙を書いている場面でしょう。

 タイタニック号は1912年4月10日にサウサンプトン港を出港しますが、4月8日に彼の妹に宛てて手紙を書いています。さらに、4月11日には両親に宛てて手紙を書いているそうです(これが、いわゆる「マードックからの最後の手紙」です)。宛先が違うとはいえ、3日おきに手紙を書くというのはけっこうハイペースな気がしますね。
 
 で、いわゆる最後の手紙には、何が書かれていたかというと、

 「サウサンプトンタイタニックが、米国定期船ニューヨーク及び自社のオーシャニックと危うく接触しかかった出来事、エイダとの別れ(注:エイダはマードックの妻、別れというのは単に出港で別れたということで、離婚とかではない)、ストライキの影響、そして両親の健康に対する丁重な心遣いで締めくくられています。仕事に関する気遣いから身の回りの出来事まで、さまざまな話題に触れた彼の手紙からは、彼が非常に有能な航海士であったこと、同時に彼がとても愛情深い家族想いの人物で、筆まめであったことがうかがえます。」

 とのこと。特に家族想いの文面というのが自分にはけっこう感じ入るものがあります。マードック家では過去5年で4人もの男が海で命を落としていたとのこと。当時の航海技術というものには限界がありますから、マードック家に限らず、海を渡るというのは(更にそこで作業をしたり、戦争をしたりというのは)、非常に危険なことでした。それにもかかわらず、両親の健康を気遣う気持ち……。

 Hになると、Fl.Soloがマードックの旋律そのものを吹きます。ここも基本的には同じ場面だと思っていますが、なぜFl.なのか、なぜGよりこちらの方が原型に近い旋律なのか…などはまだ考えきれていません。ただ、その後を考えると、マードックが夜の海を眺めている場面かなーと思います(下を読んだら繋がると思います)。いい着想があれば教えてください。

 

 ・Più mosso
 また先に言ってしまいますが、Iではもう氷山にぶつかってしまった後です。それを踏まえても、ここは氷山を見つけてしまって、ヤバい!ってとこですよね。ちなみに、氷山発見時、マードックはブリッジ(艦橋)で当直をしており、彼が運航責任者であったため、回避行動を命令しました。

 Ships Bellとか、氷山の発見を知らせるベルなのだと思います。6連符の上行形が、緊張感を高めます。そしてCresc.していって……。

 最初聴いた時は、氷山を見つけた、とかいう感じにはあまり思いませんでした(同じことを思っている人も多いのでは)。それは、一つには、ゆったりした場面からヤバい場面への過渡期なので、どっちつかずなところがあって、で、そうなると、前の方の場面のイメージをどうしても引きずってしまうからかな、と思いました。なんにせよ、難しい場面ではあります。


 さて、今日はここで時間切れ。続きはまた折を見て書きます。お楽しみに。

 それと、「自分はこう思う」っていうのがあったら、ぜひ教えてください。

マードックについて

    新歓メインとしてマードックをやるわけですが、この曲はかなり標題音楽性が強いと思っています。といきなり書いても、標題音楽とは何ぞやとお思いになる方もいらっしゃるかと思いますので、先にその説明を。


 標題音楽というのは、簡単に言うと、何かしらの題材(風景、文学作品、絵画など)を描いた音楽です。例えば今回のマードックでは、タイタニック号の沈没と、その航海士であるマードックを描いているわけです。

 対義語は絶対音楽で、これは音楽のみで完結する音楽、と言えば伝わるでしょうか。逆に言えば標題音楽は音楽(の理論)のみで完結せず、音楽がその題材に言及することになります。例えば、いつも基礎合奏でやるハーモニー進行は絶対音楽性が強いですね。

 で、「絶対音楽性が強い」と書きましたが、音楽は標題音楽絶対音楽に二分されるわけではないと思っています。(楽典が整理された後の西洋音楽であれば)原則どんな音楽でも音楽理論や楽典に則っているという意味では、どんな標題音楽絶対音楽性を持つと言えるのではないでしょうか。


 とにかく、マードックに関しては、題材とする出来事があるし、作曲者も記している通り、かなり具体的な情景を想像して書かれた曲です。なので、ある程度ストーリーを作った方がいいかなと思いました。というか、ストーリーは元々あるので、どこの場面を描いているのか、ということは想像して吹いた方がよいのでは、という感じです。


 ということで、自分なりのイメージを書いてみることにします。

 ・冒頭(A前)
 映画「タイタニック」を観たことがありますか?(実はこの映画の中では、マードックは賄賂を受け取るなど史実とは逆の描かれ方をしているそうですが…。実際には最後まで乗客の救助に当たっていたそうで、のちに映画の製作者は彼の家族に謝罪したとのこと)

 映画の冒頭は、1996年、タイタニックの引き揚げ調査をしている船上です。(詳細は省略しますが)調査をしている若者が、ある絵を発見します。そして、その絵のモデルであり、84年前の沈没事故の生還者でもある女性が船に訪れ、過去を語るのです。
 冒頭はこのプロローグの中でも、その遺品を見つけたらへん。何かよくはっきりしないけれど、この後に大きなストーリーが待っていることを予感させる感じがします。

 ・A
 この部分が、さっきの女性が過去を語り始める場面かなと思います。というか、Bはもう過去に話が移ってしまってる感じなので、過去の場面に移り変わる感じかなー。5連符とか、時間の流れを揺らしてきてる感じがしません?だんだん物語に引き込まれていく感じがします。で、rit.していって、過去へ。

 ・B
 ここでは、タイタニック号の姿が見えますね。洋上で航海しているのか、港で停泊しているのかはわかりませんが、どちらかというと航海中な感じがします。
 タイタニック号は、当時世界最大の豪華客船でした(Titanic,Titanということです)。それまで5連符や変拍子、特徴的な旋律によって、拍子感があまりない感じだったのが、4/4でかなり分かりやすくなる、というところからも、タイタニック号の堂々たる姿が見えます。旋律もやや活力があります。実はBのC.Cym2発はすごく好きです。これがなかったら”豪華”客船って感じが出ないかなーと。


 今日はとりあえずこの辺にしておきます。続編今度書きます。