社会的コード逸脱のレッスン

この社会には、様々なコードが存在している。例えばそれらは、法律や社則といった形で明文化されていたり、マナーや礼儀や暗黙の了解という形で存在していたりする。

 

もちろんそうしたコードって、いわゆる社会を回していくにはどうしようもなく必要なんだけど、それがあまりにも自分の頭や身体を規制すると、ちょっと息苦しいと思う。息苦しいだけではなくて、コードを無視して振る舞う人間のせいで実害を被ることもある。

 

 

僕の周りには、社会的なコードに縛られ、それによってつらい思いをしている(とまではいかなくとも息苦しさを感じている)人が多いのではないかな、と想像している。それは僕の周りの人たちに限ったことではないのだろうが、その思慮深さゆえ、配慮の欠けた人々のためにより一層コードを意識する側に回っている人たちが、僕の周りにはとりわけいるのではないだろうか、と想像している。

 

だから、そんな人たちは、そのコードから逸脱することを覚えたら、少し楽になるような瞬間があるのではないか?という話。コードからの逸脱というのは、必ずしも他人に迷惑をかける"規則破り"ではなく、自分自身を解放することでもありえる。

 

これがどれくらい目新しい話かはわからないけど、それでも書いてみようと思う。

 

 

 

僕もえらそうなことは言えないのだが、僕は自分のことをかなり逸脱してしまった人間だと思っている。

 

おそらく僕は、いろんな面で典型的なマジョリティだと思う。でも、どこか(おそらくそれは複数)で道を踏み外してしまい、アウトサイダーになってしまったと思う。かっこつけてるわけじゃなくて、"普通の"レールに乗れてりゃよかったのにな、と思うこともある。

 

高校の頃も学校に行かなくなった時期があったし(ただしこれは、心の病みたいな深刻なやつではないんだけど)、多分その流れで大学でも授業に出なくなっちゃったし、そうして気づいたら、大学という場における最も致命的な踏み外しをやってしまった。

 

でもそのおかげで、というかそれがきっかけで、他の場面でも道を"踏み外せる"ようになったと思う。

 

 

道を踏み外すのを推奨するわけではないけれど、道を外れた方が自由になれることもある。それに、「踏み外し方」を知らないということが時として深刻な結果を招きうるということは、みんな知っていると思う。

 

 

もう道を踏み外しちゃってる人たちは、読んでも退屈しちゃうかもしれない。

 

 

 

・例えば、美術館での譲り合いで

 

別にね、授業全部欠席して留年しましょうとか、法律を破ってみましょうとか言いたいわけじゃないんですよ。もっと穏やかで、人に迷惑をかけず、自分が激しく不利益を被ることもない。そんな形で、まずはコードから脱け出してみたい。

 

ではそもそも、どのようなコードから逸脱するのか?という例として、ひとつ。

 

 

あまり上手くない例だなと思うんだけど、例えば、あなたは美術館にいる。そんなに混雑しているわけではなく、特に順路のある展示ではない。だから、皆めいめい好きな順番で作品を見ている。

 

そうしてある絵を見ていると、横に人が来た。その人も同じ絵を見たいらしい。そんなタイミング。

 

 

一般的に、周りに他に誰もいなくて、横に十分なスペースがあれば、ちょっと横にずれてあげたりするのが、ここでの「コード」といえると思う。

 

 

そんな状況で、あえてずれてあげない。いくら視界に入っていようと、私は集中しているから全く気づきませんよとばかりに無視する。僕はたまにこんな風にする。

 

 

別に僕は意地悪でやっているのではない。それに、人に少し場所を譲ったくらいで鑑賞の体験がそこなわれるわけではない。

 

そうではなく、(僕以外にもそんな人はいると思うのだが、)人が横にくると無意識に譲ってしまう自分が嫌になるからやっている。

 

フランスに来てから、自分から道や場所を譲るというような精神性をあまり持たない人たちに囲まれ、自分ばかり場所を譲っていると、彼らに対してというよりも、無意識にコードに従っていわば不当な扱いをされている自分の身体に対して不快感を覚える。

だからこそ、自らの不自由な身体への抵抗として、そのコードから脱していたいと思うのだ。

 

それにもちろん、そのコードに従うかどうか(=そのタイミングで場所を少し譲ってあげるかどうか)を自分で決められた方が、落ち着いて鑑賞できることも間違いないと思う。

 

例えばこんな感じ。

 

 

・例えば、歩いていて肩と肩がぶつかりそうなとき

 

もっとviolentな状況もあるかもしれない。必ずしも物理的な暴力が伴うという意味ではない。コードに従ってしまう自らの身体ではなく、相手の無法に抵抗するという状況。コードを守らない相手によって、コードを守っているはずの自分が、(物理的な意味に限らず)暴力的な仕打ちを受ける、そんな状況。

 

 

というか、僕の周りの思慮ある人々が苦しみがちなのは、むしろこういう状況なのだと思う。

 

だからこそ、より軽い"レッスン"を通して、こんな状況でも(コードを逸脱しつつ)自分を守る術を身につけることができるのではないか?ということ。ちょっとえらそうな言い方になっちゃったけど。

 

 

例えば、道を歩いているとき。特に、ラッシュ時の駅の通路とかで。たまにいるじゃないですか。あ、こいつぶつかってくる気満々やわ、っていう人。性差別するわけじゃないけど、客観的に見てほぼ100%男性。

 

(読み飛ばしてもらってかまいませんが: 僕は個人的には、こんな場面で自分が相手を避けなければならないというのは、非常に不当だと思う。自分が相手により大きな危害を与えうる場合は抵抗なく避けるけれど、大抵こんなやつらって僕より背が高くて体格のいい男性なわけで。

もちろん避けないということは法にすら触れてしまいうるわけだけど、その一方で、法は有用でありつつもそれだけでは万能ではない。そして、こんな場面というのは、主体同士の権利の衝突を端的に写し出していると思う。

……なのですが、ここではあまり関係ない上にちょっとアブノーマルすぎると思うので、続き(?)はここでは割愛。)

 

 

で、こういうときは、どちらかが避けるっていうのが「コード」ですね。だから、避けないでやってみるのはどうでしょう。っていって、どーんとぶつかっちゃうわけにもいかないので、相手に避けてもらいましょう。

 

じゃあどうするのか?

 

例えば相手の顔をまじまじと見てやりましょう。できれば、にっこりして。後ろに誰もいなくて邪魔になりそうじゃなければ、立ち止まってもよい。

 

 

僕の経験上、立ち止まって笑顔で目をまじまじと見た場合、どんなに狭い道でも100%相手が避けてくれます。意識高い系の日本人サラリーマンも、かっこいいフランス人学生も、ガタイがいい黒人のお兄さんも、みんな避けてくれる。

 

 

別に、頭おかしい人のマネをしろというわけではない(それもそれでいいけどね!)。もちろん、突然叫び出したり、カバンの中身をぶちまけ出したりしても、人は避けてくれるかも。でも、それは本質ではないし、目を見たり立ち止まったりすることで彼らが自分の方から身を退くのは、そんな理由からではないと思う。

 

そうではなく、「そのタイミングでぶつかるっていうのはあまりにも道理がないぞ」という風に考えさせるということなんですね。目が合っているやつにぶつかったり、立ち止まってるやつにぶつかったりするのは、いわばバカであるということ。

 

 

あえて分析的に言うならば、コードを逸脱する振る舞いは、相手にコードを意識させることにもつながるということ。

 

自分がコードを逸脱することで、相手にコードを守らせる。ときにはこうやって自分の身を守ることもある。

 

蛇足かもしれないけど、ひとつだけアドバイスを。必ず一対一で。主体の逃げ場を作ってはこの"遊戯"は成立しないから。

 

 

 

・まずは意味のない逸脱を

 

とはいっても、そんなことやるのは簡単じゃないし、なかなかやってみたいとは思わないかもしれない。

だからね、まずは意味のない逸脱をしてみましょう。

 

例えばコンビニのレジで、これ以上ないくらいニコニコして支払いをしてみたり。できればあんまり行きつけじゃないコンビニがいいかもしれないけど。

 

例えば道で、知らない人に話しかけてみたり。興味が出たから話しかけるのではなくて、全く理由もなく話しかけてみる。やっぱり、あまり普段行かない場所がいいとは思うけど。

 

 

もちろん、完全に支離滅裂なことをするのも楽しいんだけど。それよりも、別のコードに入っていくということの方が楽しいと思う。

 

言ってしまえば、何か別の主体になりきるということ。

僕はそうやって「別の誰か」になることに抵抗がない。それは例えば、「元気な居酒屋の店員」であったりする。ときには「陽気なアフリカンと一緒に話す日本人学生」であったりもするし、また「陽気なアフリカンに話しかけられて面倒くさそうにする日本人学生」であることもある。さらに、例えば「道でぶつかりそうになったら目を見てくる人」であったりもする。

 

さっき、道で人とぶつかりそうな状況について書いた部分とも少し関連するかもしれませんが、いわば道化をやるということですよね。

その道化を見てびっくりする人を見るのは楽しい。なぜならその"見物人"たちは、実は自らも僕の眼差しの中で道化となりうるということに気づいていないから。我が物顔で道を歩いていた人間が、突然コードを意識して"理性的な"振る舞いをすることのおかしさなど、考えもしないだろうから。

 

その立場の逆転の可能性に気づかない見物人=道化たち。そんな風に見えてきたら、自由にコードから脱け出せるようになるのもすぐだと思う。

 

 

知っている人の前では滅多にそんなことはしませんよ。それにもちろん、サークルみたいにある程度閉じた共同体で、必要なコードから意味もなく逸脱しているのを見るのは大嫌いだ。

 

でもその一方で、見ず知らずの人との摩擦の中で自分をすり減らすのはつらい。そこで、自分を規制するコードから脱け出してみましょう、ということ。

 

 

 

うーん、でも僕は、僕の友だちがそうやって道を踏み外しているのは見たくないし、最初に書いたようにそれは推奨するわけでもない。踏み外さずに道を歩いていけるということも大切だ。

 

じゃあなんで書いてるのかって話なんだけど、ひとまずは"踏み外し方"を知っているということが有用だからということにしておきましょう。

 

 

それに、そうやって自由になる過程というのは、楽しい。その自由が虚構なのだとしても、そしてコードに身を浸すことが楽でありまた必要なのだとしても、時にはその息苦しさから自らを解放することは楽しい。

 

 

何言ってるかわかんないっていうんだったら、まずはやってみましょう。

 

例えば、普段あまり通らない道で、通行人に話しかけてみる。

できれば昼間にね、夜にやると警察呼ばれちゃうかもしれないから。

 

 

で、おもむろに訊いてみる。「わんちゃんの名前なんですか?」って。もちろん、犬なんか連れてない人に。

アウシュビッツ訪問記

アウシュビッツを訪れたのは、4月22日月曜日のことだった。

 

いつものようにホステルに荷物を置き、パスポート、食料、カメラその他一式をトートバッグに詰め込んで、朝一番のバスに乗り込んだ。当初の予定を変更することが多かった今回の旅行の中でも、アウシュビッツへの訪問は最優先事項だった。

 

 

   * * * 

 

 

さて、最初に書きたいのは、カメラの話。

 

当初、収容所内での写真撮影は許可されていないかもしれないと思っていたのだが、一部の遺品を除いて写真撮影は許可されていた。 

 

もちろん、そこで写真を撮ることに対して、全く葛藤がなかったと言えば嘘になる。葛藤というほどではないにしろ、少しはそこで写真を撮ることの意味について考えることになった。

だが、(前回の記事でも少し書いたけれど、)僕はいつもこうやって、カメラを使って自分に刻印をして生きてきた。アウシュビッツで写真を撮るということに対する決断は、全く簡単にとはいえなくとも、十分にスムーズになされたことだった。

 

しかし。バスを降り、チケットを手に入れ、セキュリティゲートをくぐり、収容所の建物群に少し歩み寄ったところでカメラを取り出し、レンズを向け、シャッターを切ったその時。

「パシュン」という呆気ない音とともに、カメラの電池が切れたのだった。

 

 

 

そんな不思議なことがあるのか?という気持ちだった。カメラの替えの電池は持ってきておらず、早くも写真を撮ることは不可能になったのだが、それに対しての無念や、電池を持ってきていない自分への憤りなどは、全くなかった。ただただ、不思議だった。

 

 

僕は割とそういうタチなので、これは天啓だと思うことにした。「ことにした」というか、そう思った。写真を撮ることを咎められたとは全く思わないが、今日はそういう巡り合わせなのだ、と。

 

 

   * * * 

 

 

少し時系列は前後するが、電池切れを起こした際にどこかに不具合が生じたらしいということは、ワルシャワで新しい電池を買って装填したときにわかった。このカメラは二度と正常にシャッターを切ることができなくなってしまっていたのだった。

 

このカメラの後日譚は最後にするとして、その後のアウシュビッツでの出来事を記していきたい。 

 

もちろん、書きたいことは様々にあるのだが、その中でも書かなければならないと思うのは、この訪問を通して感じた非常にネガティブな部分である。できるだけ感情を排して、そのことについて共有したい。

 

 

   * * * 

 

 

それは、収容所の敷地に入ってすぐのことだった。しばらく歩いたところで、前方に自撮り棒をつけたスマホを持ったアジア人が、キョロキョロしているのが見えた。少し嫌な予感がしたのだが、果たして彼は僕に話しかけてきた。"Can you take a picture ?" みたいなことを言っていたと思う。

正直、この場所でセルフィーを撮りたいという感情は、全く理解できなかった。そんなことはすべきでない、と怒鳴りたい気持ちをこらえて、僕は完全に彼を無視した。

 

 

もしかすると、彼はネオナチだったのだろうか?

 

はっきり言って、それならまだいい。彼は、そのことの重大さを引き受ける引き受けないの前に、そうした前提が(ひとまずは)通用しない主義の中に身を置いていたということになるのだから。

 

 

問題は、彼がネオナチなどではなくいたって平凡なアジア人であった場合である。というか、おそらくそうなのだ。彼は、自分がどんな場所にいるのか、実際には理解していなかったのだ。

 

しかし、歴史を理解しないアジア人がセルフィーをすることと同じくらい嫌悪すべき光景を、その後で目の当たりにすることになる。

 

  

   * * * 

 

 

収容所の建物のうちいくつかは、中に入ることができる。そのうちの多くは内部が改修されて、各棟がある程度独立した展示をする形になっている。これらの展示棟でも、僕は非常に残念な体験をせざるを得なかった。

 

ある棟には、夥しい量の女性の髪が、横10mくらいの幅で積み上げられている一室があった。そして、かなりの人数である私たち見学者は列をなして、その髪をガラス越しに見ながら、流れに沿って進んでいく。僕はかなりの違和感を覚えながら見学をしていた。

 

 

流れに沿って進んでいく?ガラス越しに眺める?なぜ?

だって、この髪の毛を見ることは、例えばスーパーに陳列された様々な種類のお菓子を眺めることや、路面店に展示されているブランドものの服や靴を眺めることとは、全く異なるはずだ。

 

それを、まるでレジに並ぶように、もしくは混雑したエスカレーターの前で並ぶように、少し先を急ぎながら列をなして進んでいくというのは、どのような状況なのだろうか?

 

その彼女らの髪の毛、犠牲者の生の痕跡を、なぜ僕らは今、歩きながら、視線を滑らせながら見ているのだろう?

 

 

狭い通路で、長い列をなして歩みを進める前後の見学者の中にあっては、立ち止まって彼女らの生——"それ"以前の生であったり、"そこ"での生であったり、あるいは"それ"がなかったらあり得た生であったりするだろう——に想いを馳せることもできない。

 

 

例えば歩きながら、目を滑らせながら、両親の遺品や友人の墓標を見るということがあるだろうか?

 

 

これは両親の遺品でも友人の墓標でもないって?確かにそうかもしれない。見ず知らずの人の墓や遺品を訪ねてわざわざ旅行をする人なんていないんだからね。でもあなたたちは、それくらい大事なものを見るためにわざわざポーランドの片田舎までやって来たのではないですか?

 

 

これは例えば「○万人分の髪の毛」っていうようなものじゃないんだ。ある人の髪の毛、かけがえのないある人の髪の毛が、数万人分も十数万人分もあるんだ。それはお金みたいに交換可能な価値を持つものではない。

 

 

 

実際のところ、施設のキャパと入場者数の兼ね合いで難しい面もあるのだろう。ツアーで来ている見学者は、時間の制約もあるらしい。だから、僕は決してこの施設に対して不満を覚えていたわけではないのだが、この状況に漠然とした違和感を覚えていた。そこまではまだ良いのだが、それでもなお僕は、ネガティブな気持ちで見学を進めることを強いられた。というのも、ここでも見学者のマナーは見るに堪えないものであったからだ。

 

冗談を言い合いながら歩いてゆく若者たち。ツアーは団体行動だから仕方なくついてきてるんですと言わんばかりに携帯をいじる者。駅や空港で彼らがそうするように、隙さえあれば列に割り込もうというような者も、1人や2人ではなかった。

 

もちろん、厳粛な面持ちで見学をしている人も相当数おり(彼らの多くは一定の年齢以上であったと思う)、そうした人々がちらりと目に入るだけで救われたような気がしたものだった。

それに、鑑賞の方法というのは人それぞれであるということも理解している。しかし、彼らには何か、きわめて重大な何かが欠けていた。それは例えば、こうした場所を訪れるにあたっての厳粛なマインドとか、そういった種類のものではなく、もっと根本的なもの。

 

 

もう一度言うが、こういった見学者たちがみなネオナチだったらまだいいのだ。この場所に来てもなおナチス万歳と言ってのけるような人間や、そもそもここに足を運ばないというような人間の方が、まだよっぽどいいのかもしれないとさえ思う。

より深刻なのは、こうした人間が旅行を終えて、アウシュビッツを見学してきたという話をしたり、「この歴史を繰り返してはならない」とかいった言葉を口走ることだ。そう口走ってしまうことで、彼らにとってこの歴史を乗り越えられたものにしてしまうことだ。

 

彼らにとっては、ここに訪れることは単なる思い出作り、もしくは世間体のため——ポーランドに行ったのだから、アウシュビッツにも当然足を運んだのだ、という額面を得るため——でしかなかったのかもしれない。そういった動機でここに訪れるのは、教科書的な知識を得るのとさほど変わらないのかもしれないし、もしかするとそれより悪いかもしれないと僕は思う。安易かつ不誠実なやり方で、この場所を、そしてそこで起こった出来事を乗り越えてしまうということは、歴史の授業でしかアウシュビッツを学ばないことよりも悪いかもしれない。

 

 

   * * * 

 

 

彼らがここに足を運んだ根本的な要因は間違いなく、彼らが幼少期から紋切り型として徹底的に叩き込まれてきた「ナチス=悪」という戦後ヨーロッパ的図式である。

ホロコーストを繰り返してはならない。それは100%正しいと思う。しかし、「ナチス=悪」を議論の出発点に据えるような短絡的思想・教育は、果たして正義なのだろうか?

 

例えば、なぜヨーロッパではホロコースト否認が罰せられるにもかかわらず、イスラム教を風刺する漫画は「言論の自由」の象徴としてのお墨付きを得られるのか?という問題が真っ先に思い浮かぶ。病的にナチスを否定(というより嫌悪)するヨーロピアンたちは、何かの理にしたがってそうしているというより、ほとんど感情によってそうしているのだ、と言ってしまっていいだろう。

 

(おそらくこれを読んでくれている人たちはこの文脈を共有していないと思うので補足しておくと、僕の印象では、(少なくとも大学生・大学教員である)ヨーロピアンたちが「ナチス」「ホロコースト」などといった言葉を聞いたりそれに関して議論したりする際の様子はほとんど病的であり、それに対して異を唱えることは許されないという雰囲気である。「ナチス=悪」の図式は何かの議論の帰結というよりは、議論の前提、公理のようなものとして与えられている。あくまで個人的な印象であることを念押しするが、それは例えば平均的な日本人が日本でナチスについて話す様子とは全く異なっている。)

 

もちろんホロコースト否認はすべきでない。しかし、それならばイスラム教の侮辱もすべきでないし、また「言論の自由」は万能ではないということになる。が、彼らはそれを認めたがらない。

 

アウシュビッツは、絶対に繰り返してはいけない歴史だった。ニュルンベルク裁判に始まる、ヨーロッパにおけるナチスに対する病的なまでの反動・嫌悪も、理解できるものではあるし、それも確かに必要なものだったのかもしれない。しかし、結局それはモグラ叩きになってはいないか?70年以上が経過した今、他のところにモグラが出ることはあまりにも明らかなのに、それを放置していいのだろうか?

 

 

その根源たる戦後ヨーロッパ的教育プログラムはどうであろうか。学校で徹底的に反ナチ・反ホロコーストの紋切り型を教え込む。そして、アウシュビッツを見学させる。ドイツの高校生が修学旅行でアウシュビッツを訪れることも少なくないのだという。もちろん、他のヨーロッパ諸国からアウシュビッツを訪れる生徒もいる。この場所にとりあえず連れてくる、列に並ばせる。そして、この場所・この歴史を乗り越えさせ"てしまう"。

 

 

(補足しておくが、僕は単に戦後ヨーロッパ的(連合国的)第二次世界大戦史観を全面的に否定したいわけではなく、また例えば『日本国紀』的な視点に賛成したり、いわゆる右翼的な意味合いでの「自虐史観批判」を展開したりするつもりも毛頭ない。しかし、戦後ヨーロッパ的史観が歪んでいる、ということは事実である。歪んでいない歴史観など存在するのかどうかという問いはここでは措くとして、良くも悪くも歪みがあるという事実は認識しておかなければならないと思う。)

 

 

 

本当にこれで大丈夫なのか?という気持ちが、見学の途中にもかかわらず湧き上がってきていた。いや、おそらく大丈夫ではない。

昨今の民主主義の機能不全とポピュリストの台頭にも見え隠れしているように、極右政党の主張、有権者の投票行動は、1930年前後のドイツにおけるそれと非常に似通っているはずだ。そして、その有権者たちというのは、ヨーロッパお墨付きの反ナチ教育プログラムを受けたはずのヨーロピアンたちなのだ。

紋切り型としての「反ナチ」は「反ナチ」でしかなく、それ以上の広がりを持つことに限界があるということの証左ではないか。

 

ヨーロッパにおけるアジア人や黒人に対する暗黙の差別もそうだ。

例えばフランスで、ゴミ処理業者や清掃人はほとんどの例外なく黒人の仕事になっているということ。彼らの子どもが白人優勢のエスタブリッシュ階級に入っていくことは、日本におけるそれとは段違いに困難であるということ。

そして無自覚な大勢の白人たち。人種・出自による社会階層の隔絶とその再生産は、無自覚に、しかし粛々と行われている。そして、それを行っているのはやはり、ユダヤ人を迫害したナチを徹底的に否定する教育を受けたはずの彼らなのだ。

 

一昨日もまた、カリフォルニアでシナゴーグが襲撃された。まさにその反ユダヤ主義というのは、現代にも生きているのだ。その事実と、負の歴史の反省とが、どれだけの人にとって有機的に結びついているのだろうか?

 

 

 

 

不快に思う人がいたらすみません。でも、僕はあの場で率直にふと、長い列をなして人々をのみこんでいく収容所の建物は現代の強制収容所のようだ、と思った。

ナチスの犯した犯罪と人類の負の歴史を学び、それを繰り返さないためには、とりあえずここに足を運べばよいのだ——そう安易に信じ込んでアウシュビッツに訪れ、列をなしてまるで美術館にでも来たかのような気楽さで展示を眺める見学者たちの様は、「これからシャワーを浴びるのだ」と信じ込まされ、ガス室へ送り込まれた人々と重なる。彼らはそうやって何の問いも自覚もなく、痴呆症、不感症患者になっていく。

 

 

 

負の歴史を繰り返さない。そのための教育は、残念ながらまだ成功には至っていないのではないだろうか、ということを思う。もしかしたら、人間が歴史を繰り返さないということは、不可能なのだろうか?

 

 

   * * * 

 

 

アウシュビッツでの見学を終えると、シャトルバスに乗ってビルケナウ収容所を訪れた。しかし、そこにも陰惨な光景が広がっていた。ビルケナウの建物をバックに家族写真を撮る人々が目に入った瞬間、暗澹たる気持ちが抑えられなくなった。ここで家族写真を撮る人々は(しかも笑顔で!)、おそらく本当にネオナチであるに違いない。いや、本当にそうであってくれ。頼むから。

 

 

僕は、ビルケナウでの見学予定を大幅に短くして、シャトルバスでアウシュビッツにとんぼ返りした。そして、クラクフ行きのバスでアウシュビッツを後にした。これが、僕のアウシュビッツ訪問だった。

 

 

   * * * 

 

 

それから4日後。パリに戻ってきて、僕は真っ先にフィルムを現像に出した。

僕がいつも利用している現像屋は、フィルムを出したら1時間後くらいにデータ化したファイルのリンクをメールで送ってくれる。ネガは後日受け取る。

 

ワルシャワで電池を買って、それを装填して試し撮りしたときに、どうやらカメラが故障しているらしいということがわかった、というのは最初に書いた通り。そのあとどうしたかというと、少しパニックになってしまった僕は、感光覚悟で裏ブタを開けて、何かが詰まったりしていないか確かめたのだった。

おそらく複数枚のフィルムが感光してしまっているだろうと思ったし、そもそもアウシュビッツの写真は、きちんとシャッターが切れていたのかどうかもわからない。そんな状況だった。

 

(補足。未現像のフィルムを光に当てるというのは絶対にやってはいけないことで、これをやってしまうと基本的に感光してしまう。光をあてる時間と明るさによるのだが、僕は白昼のもとで、不具合を探すために長時間裏蓋を開けていたので、露出していた部分のフィルムを現像すれば間違いなく真っ白である。)

 

 

で、その送られてきたリンクを開き、ファイルを落として開く。そのフィルムのうち最後にきちんと撮れていた写真がこれだった。僕は文字通り、言葉を失ってしまった。

 

 

 

 

 

f:id:PostOffice:20190429100935j:plain



 

 

 

おそらく裏蓋を開けた際に、左端を除いて感光していなかったのだ。フィルムが巻き取られていた部分が感光を免れたのだろう。裏蓋を開けるタイミングが少し違えば、この写真は全部感光してしまっていてもおかしくなかった。

 

 

勝手な思い込みかもしれないが(そうに違いない)、僕には、この収容所がなにかに抗って自分の姿をフィルムにとどめたのだ、そうとしか思えなかった。

 

 

こうして熱に浮かされたように一気にアウシュビッツのことを書いているのは、たぶんこの写真のせいだと思う。とにかくこの写真は、確かに僕の目に像を結んだ。

 

とんでもないものを撮ってしまった。この写真を、僕は一生忘れることはないだろう。

「真の体験」信仰への懐疑、あるいは写真を撮ることの擁護

・「真の体験」の信仰 - 「自由気ままな旅行」?

 

ある友人が「自由気ままな旅行をしたい」と言い出したことがあった。行き先も決めず、ただあてどなく気の赴くままに旅行してみたい。どれくらい本気なのかはわからないけれど、そんなことを言っていた。

 

それに対して僕は、それはできないんじゃない?という、非常に面白くない返答をしてしまった。

 

僕はわりかし一人でいろいろ旅行することが多い方だと思うけれど、(定義にもよるが)「自由気ままに」旅行することは難しいと思ったし、今でもそう思っている。

 

 

まず、僕は鉄道が好きだし鉄道をよく使うんだけど、最低限大体の予定を決め、宿だけは取っていないと、野宿することになりかねない。僕にとってはおそらく、野宿するストレスは自由な旅で得られる心地よさを上回ると思う。

 

予定を直前になるまで決めないということは、案外金のかかることでもある。割引もないことが多いし、金券ショップも使えなかったりする。夜行バスも埋まってるかもしれないし、場合によってはタクシーを使うこともある。リアルな話、そういうのって地味にかかる。

 

それに、時間は有限だ。時間の制限は、(ひとまずある程度普通のやり方で社会に留まろうとする限りにおいては)厳然と存在している。それは、「○日までに戻ってこないといけない」という形のものであったり、「○年後には就職するんだよね」というものであったりする。自由というのはここでも制限を受ける。

 

もちろん、レンタカーを借りれば車中泊もできるし、より自由に旅行できると思う。それに、寝袋を持ち歩いていれば、より楽に野宿できるかもしれない。

でも、レンタカーは高くつく。元あったところにきちんと返却しないと乗り捨て料もかかるし、ガス代も高速代もかかるから。それに、寝袋があったって野宿はしんどい。

 

 

 

ともかくも、そんなに「真に自由気ままな旅行」っていうのは、おそらくある意味でかなり切羽詰まった精神状態なのだと思うし、少なくとも僕は普通の精神状態でしようと思わない。それは、ふらりと旅に出るという性質のものではなく、むしろ切迫した日常から解き放たれたくて、急き立てられて行くような旅行じゃないか?という風に思ったのだった。

もちろん、そんな気持ちになることがあるかもしれないけど、ないかもしれない。なくたった構わない。そういうものだと思う。その友人は本当に、何か切迫したものを抱えていたのかもしれないし、もしそうだとすれば僕は本当にばかな返答をしたものだと思うけれど。

 

 

 

・写真の話 - 「真の体験」はあるのか?

 

さてそこで、写真の話になるんだけど。

 

写真を撮らずに、自分の目にその光景を焼き付け、耳や肌で感じたい、そんな言説をよく目にする。その気持ちはとてもわかる。

けれど、それは僕にとっては一種の信仰でしかない。もちろん全然否定はしないけれど。

 

とにかく、言い切ってしまうと、そういった言説においては、「真の体験」「完全な体験」というものを過度に特権化・神秘化しているんじゃないかな、という視点を僕は持っている。

 

そんな「真の体験」みたいなものがもしある"とすれば"、それは息も止まるような光景を前にして、止むに止まれずそうなってしまう、そんなものなのであって、決して自分から追い求めるものではないような気もする。そうした状況をつくろうと努めること自体、一見誠実であるようにも思えるが、傲慢でもあり得ると思う。

僕も、すばらしく美しい景色に何度も出会ったことがあるし(もちろんみなさんにもあることでしょう)、そこで普通に写真も撮ったけれど、それは美しさや感動をそこなうものでは全くなかった。

 

繰り返すけれど、僕は改宗を迫っているわけではない。でも同時に、(無自覚に)僕らに改宗するように迫る言説もあって、それに対しての問題提起(というとやはり大げさだけど)をしているだけ。

 

 

 

ちょっと違うけれど、本を読むこと、またはどの本を読むかという選択にも、似たものがあると思う。

 

この世界には、僕たちが絶対に読み終わることができない量の本がある、ってよく言うけど、それでも僕らは何を読むかを選択しなきゃいけない。

 

確かに、どんな本を読むのも自由。とはいえ、どんな本に興味があるのかということは、どうしようもなく決まっていることもある。それは、受けてきた教育や周囲の環境、はたまた図書館のコレクションそのものにも影響されるだろう、というのもよく言われる通り。

さて仮に、それらの"障壁"が取り払われ、「自由に本を選んでください」と言われたらどうなってしまうのだろうか。有限の時間の中で、どの本を読み、または読まないかを選択することは、限りなく難しくなってしまうのではないか?

どうやって本を選ぶのか、それはまさにその"障壁"によって決まるのだから。

 

 

読書の方法についても、最初の文字から最後の文字まで、最高の集中力でもって本を読み通すことができたらいいと思う人がいるかもしれない。が、おそらくそんなことをできる人はいないだろうし、しようと思う人もいないだろう。いるとすれば、その人はやはり、そうあるべきであるような「真の読書」の信奉者ということになる。

 

難しい本だったら少なくとも部分的には読み直すことになるだろうし、そもそも、全ての部分を同じ集中力で読むことが果たして誠実な態度なのかという問題もある(読書の仕方は、自分自身試行錯誤している部分もあるから、あんまりえらそうなことは言えないわけだけど)。

 

 

 

・なぜ写真を撮るのか

 

そんなわけで、「自由な旅」というのをやってみようとすると案外難しく、美しい景色を見つつ「真の体験」を求めても、(少なくとも僕は)どうすればいいのかわからず、じたばたと窒息してしまう。

 

全くの自由とか、全てを感じるとか、僕はそんなことができる全能者ではない。

それらは想像するには足るものだけれど、この世界に「完全」は概念としてしか存在していない。

 

 

でも不完全っていうのは悪いことではなくて、僕たちは僕たちの体験を終わりなく、無限に豊かにしていくことができるのだと思う(これは1/3くらい教授の受け売りだけど)。それが「完成」されるということは永遠にやってこない。「完全」は存在しないのだから。

 

その方法は、例えば自分の体験を日記に書くことだったり、写真に撮ることだったり、その写真や日記を5年後10年後に眺めることだったり、一緒にいた友達と思い出話をすることだったりするのだと思う。僕にはできないけど、絵に描いたり、音楽にしちゃう人もいるかもしれない。

 

だからこそ、真の体験なんかないからこそ、僕は自分の体験を、もしくは自分自身をより豊かにするために、写真を撮る。写真じゃなくてもいいんだけど、僕は写真を撮る。そうして、自分に書き込み-刻印をしていく。

 

自分にとって写真を撮るということの意味をもっとも大きな意味で問いかけたときには、このようなことになると思う、ということで、写真を撮ることへの擁護にもなっているだろうか。

脱主体化をめぐって

書きためてるノートから。

 

このテーマは、あるとき(おそらく1年くらい前?)から頭の中をずっとぐるぐるしている。そして、それからずっと、様々な現象がこのテーマと関係しているように思えて仕方がない。共感してもらえるかどうかはわかりませんが、どうしてもそのことを共有したくて今日は書いています。

 

 

 

 

 

 

おそらく1年くらい前のある日、久々に開いたFacebookを眺めながら、僕は不思議な気持ちにとらわれていた。なぜなら、そこに投稿されている写真には、奇妙な傾向があったから。

 

例えば5年前に(5年前というのは、2013年頃を指すかもしれないし、僕が高校生の頃という意味でもあり得るわけだが)こんな傾向があっただろうか? ともかく、写真に写っている人々のうちのそれなりの数が、「変」だった。どこか中空を見つめていたり、あるいは驚いたような表情をこちらに向けていたり。はたまた、誰かに話しかけるかのように口を開けていたり。

 

とにかく、僕はそういう風に写真に写ろうとは思わないな、と思った。だって、例えばびっくりした顔の彼、何枚も同じような顔で写っていたけど、偶然にも毎回びっくりして写真に写ってるわけないでしょ?っていうことは、あの顔で数秒間固まっていたわけで、その姿を想像するに、失礼ながら滑稽だと思ってしまった。

だから変だなと思ったわけだけど、そのときは深く考えずにいた。

 

 

で、それからまた後に、ある人のあるツイートをふと思い出して、ハッとした。そのツイートっていうのは、それ自体Twitterの話だったんだけど、

「何かツイートするときに『ねえ』『まって』『いや』とかってことばから書き出すことがあるのってなんなんだろう?」

みたいな話だったと思う。

「まって、今年10連休あるのやばくない?」みたいにね。

  

で、その「ねえ」「まって」と、なぜかわざわざ驚いた表情で写真に写る人が重なった。

 

 

つまり:彼らは自分が写りたいから写真に写ったのではなく、誰かに呼びかけられたからはっと顔を向けたのであり、またツイートしたいからツイートしたのではなく、誰かに何かを知らせてあげなければならないから、誰かに反論しなければならなかったからツイートしたんだ。

そのように解釈されるような状況をわざわざ作り出して、「自分がその行為の主体であることから逃れさっている。」

 

そのような傾向に、僕はひとまず「脱主体化」というラベルをつけてみた。そしてだんだん、様々な現象に同じ傾向がある、ということがわかった。断片的だけど、その中からいくつか。

 

 

Twitterという場所もそう。

とにかく、(1対1の)返信を求められずに済む、という点。まさに「返信」ということで言っても、Twitter上でのreplyは、1対1の返信ではなく、1対多である。もしかしたら、多対多かもしれない。

またそれ以上に、「いいね」という記号には、自らの声も刻印もなく、心地よい脱主体化の中で相手とつながることができる。

 

 

・建築物をとりあえず斜めから撮ること、正面に被写体を置かないこと。撮られる側ではなく、撮る側も、主体を引き受けないことがある。レンズは目。修飾語句を多用するのと同じずるさ。

 

 

・美しすぎる映像。臨場感のありすぎる録音。それら全てが、心地よい脱主体化を阻む。適度な粗さはときとして私に傍観者であるという安心感を与える。

 

 

・なんでも外国語(英語)で言い換える。知りすぎている言語のことばで表せない、カテゴリー化されたことばとしての認識。

知りすぎている言語のことばは、一点を指差す。あまり知らない言語のことばは、点ではなく面、他の語との境界線によって描かれる面をつかむ。

(この断片は割に適当なことを書いているかもしれない。)

 

 

・「形式化」。何かの形式に当てはめることはやはり、「自分の外部」にあるものとしての形式に依拠すること。

 

 

 

いろいろ書いてきましたが、別に自らを脱主体化する身振りが悪いとか、そういうことは必ずしも言わない。「必ずしも」というか、全然そんなことは思わない。ときに主体であることから逃れ去ることだって、いいんだと思う。でも、僕にはまだ、断片的なことしかわからない。だから、中途半端だけど、今回の記事はここで終わり。

 

 

ただ確かなのは、そんな傾向が実際にあるということ、自分もそれを心地よく思うことがあるということ、そして、それでもなお主体である私を引き受けようという傾向もまた自分の中にあるということ。

 

ときに軽やかに私という主体から逃れつつも、その主体をきちんと引き受けるべきとき/引き受けたいときに引き受ける。ときに形式的なコミュニケーションの安逸さに身を浸しつつも、あるときには被写体に正面から向き合ってみたり。最近はこんなことに少しだけ自覚的に生きています。

スペイン旅行。マドリード、トレド、バレンシア。

f:id:PostOffice:20190417070902j:plain

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071005j:plain

 

 

  

f:id:PostOffice:20190417071230j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071503j:plain

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071518j:plain

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071538j:plain

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071532j:plain

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071539j:plain

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071546j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071624j:plain

 

 

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071702j:plain

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071647j:plain

 

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071712j:plain



 

f:id:PostOffice:20190417071700j:plain

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071713j:plain

 

 

 

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071714j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:PostOffice:20190417071852j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノートルダムが燃えた

ノートルダムが燃えた。

 

 

ちょっと混乱しているので。気持ちを整理するために。

 

 

 

 

ノートルダムは、僕の家から近いわけではないけど、電車1本でいける。その辺には、僕がよく行くコーヒー豆のお店があったり、パリで一番大きな本屋さんがあったりする。そういうわけで、そのあたりにはたまに行く。駅のあるサン=ミッシェル広場からは、ノートルダムが毎回見える。

 

 

何度も見たノートルダムなんだけど、一番よく覚えてるのはやっぱり8月、パリに来たばかりの頃に行ったときのこと。

 

 

 

その頃は、慌ただしいながらも、なにかに突き動かされるようにしてパリのいろんなところを回った。2週間だけ行っていた語学学校は、授業が午前中だけだったから、午後はたいていどこかに出かけていた。

 

そしてもちろん、ノートルダムにも行った。

 

 

 

当然夏の観光シーズン真っ只中で、長い長い列ができていた。図々しく割り込んでくる観光客に閉口しつつ、中に入る。

中も観光客でごった返している。みんな教会にいることを忘れて喋っていてうるさい。メダルを売っている自動販売機があったりして、なんだか幻滅する。

 

外に出る。乞食が小銭をねだってくる。さっき並んだ列は、ずっと長いまま。夕方だがまだ陽射しは強い。気が遠くなりそうだ。

おびただしい数の観光客と教会の世俗さ加減で、僕のノートルダムへの印象は塗りつぶされかかっていた。

 

 

鐘が聴こえてきたのは、そんなときだった。

 

 

 

その瞬間は、ちょっとラッキーだと思ったくらいだったんだよね。本物の『ノートルダムの鐘』がタイミングよく聴けた、っていうくらいの。

 

 

最初は、ごーんごーんと鳴っていて、普通の鐘に聴こえるんだけど、あれはポリフォニーなんですね。何回か鳴ったら終わりかと思っていたら、逆にどんどん声部が重なっていって、全然鳴りやまない。気づくと、初めて聴くような響きがあたりの空間を充たしていた。

 

 

とにかく、なんだかとってもうれしい気持ちになった。カトリックでもない自分が、変な話だけど。

 

 

 

鐘の余韻も消えたころに、そのうれしい気持ちのまま、地下鉄に乗って帰った。

そして寮に着く。ボロボロのエレベーターに乗り、自室に着く。木の香りがする部屋だった。

そして、共用のキッチンまで降りていって、ごはんをつくる。変わりばえのしないパスタ。食べて、食器を洗って、自室へ上がる。シャワーを浴びて、本を読んだりする。

 

 

そして、本を読みながらふと、今日聴いた鐘の音は忘れられないな、と思った。間違いない。確かにそう思ったんだよ。木のにおいのする、少し暑い部屋で。

ウィーンフィル鑑賞記

旅行記とかあんま書いたことないんですが、今回はちょっと書こうと思います。ウィーンフィルの演奏会、どんな感じだったかっていう。けっこう自分の話多め。

 

 

・計画

 

さて、当初ウィーンに行く目的は、ウィーンフィルではありませんでした。同期Trp.のOさんがウィーンでインターンしていたので、せっかくだし会いに行こうかな、というのがきっかけで、ウィーン旅行を計画し始めたのでした。

それで、「もしかしたらウィーンフィル聴けるのでは?」と思っていたら、ちょうどいい日程にコンサートを見つけたので、チケットの確保に動きました。(なお、Oさんは旅行に行くことにしたとかで、結局会えませんでした。)

 

で、本来、ウィーン楽友協会(Musikverein)で行われるウィーンフィル定期演奏会のチケットを手に入れるためには、代理店に頼んで、言い値でチケットを買わなければならないそうです。もちろん、定期会員になっていればその必要はないのですが、定期会員になるためには申請してから数年かかるとのことだったので、それは論外。

しかし、今回の演奏会は、定期演奏会と同じプログラムが定期会員以外に向けて発売される、言わば普通のコンサートだったので、僕でもチケットを手に入れることができたというわけです。

 

しかしながら、「会員先行予約」というものは存在していて、会員のみに先行してチケットを発売する期間が1週間設けられていました。やはりせっかく聴くならいい席で聴きたかったので、かなり不安でした。

ところが、調べていくうちに「学生会員」のようなものがあることがわかりました。年会費10€を払えば会員先行予約の期間に予約ができる、つまり席を確保できる確率が高まるということです。当然、早速会員になりました。

 

そして先行予約開始日当日。戦々恐々画面に向かい、時間になると同時に予約をしましたが、案外すんなりと、拍子抜けするくらい簡単に予約できました。2階席中央の前から2列目だったので、かなりの良席だと思います。これで98€なのだからすごい(日本だったら4万円くらいふんだくられますよね)。

 

 

・当日

 

当日の飛行機はシャルル・ド・ゴール空港10:05発、ウィーン空港12:10着。もし遅延したり欠航したりしたらどうしようとか、空港に向かう電車が止まったらどうしようとか、悪いことばかり考えていましたが、普通に飛びました。そういえばかなり早起きしました。

 

f:id:PostOffice:20190320210038j:plain

CDGにて。オーストリアのナショナルフラッグがバス移動ですか、という気持ち。

 

演奏会は19:30からなので、ウィーン中心部についたあとは、ホステルに荷物を置きに行ったり、ちょっと観光したりと時間を使いました。なんというか、非常に落ち着かない時間だった。

 

18時頃にホールに行って、ネット予約していたチケットを引き換えたんだけど、まだ1時間半あったから、カフェで待つことにしました。

楽友協会から徒歩10分ほど、ウィーン国立歌劇場目の前にあるのが、カフェ・ゲルストナー(Gerstner)。人気のカフェらしく、3日間のうちどっかで行きたいと思っていたのでした。

 

f:id:PostOffice:20190320210443j:plain

Gerstnerで、めっちゃ豪華なコーヒー。

 

ブランデー入りのウィンナコーヒーとチョコレートケーキをいただきました。チョコレートケーキ、めっっちゃ甘かった。

 

そしていよいよ楽友協会へ向かいました。

 

・会場へ!

 

f:id:PostOffice:20190320210705j:plain

ウィーン楽友協会(Musikverein)の外観!

 

ウィーンフィル定期演奏会だと、服装がフォーマルだという話を聞いていて、でもこの演奏会は定期じゃないし、きっと大丈夫と思いつつ、服を持ってないなりに最大限きれいめの格好をして行ったのですが、案外にカジュアル寄りの人もちらほらいて、まず安心しました。とはいえ、男性は7割くらいスーツでしたが。

 

f:id:PostOffice:20190320210619j:plain

開演前のGroßer Saal。自席から。

 

ホールは、大ホールのGroßer Saal(=Golden Hall)です。関係ないけど、ほんとにいい席だった。

 

プログラムは、プロコフィエフの古典交響曲と、マーラー1番「巨人」。それはそれは楽しみにしていました。指揮はダニエル・バレンボイム

 

(余談: 3年前、バレンボイムがベルリン・シュターツカペレと来日してブルックナーツィクルスをやったとき、4番を聴きに行ったのですが、めちゃくちゃ感動してしまいました。その年の10月にウィーンフィル聴いたけど(それもブルックナーで7番だった)、正直個人的にはベルリン・シュターツカペレの方が印象に残った。熱量がすごかった。4番が割とそういう曲だからかもしれないけど。あと、後述しますがホールの問題もあったのでしょう。しかもその演奏会、前プロではモーツァルトのピアコンをバレンボイムが弾き振りするという贅沢な仕様だったのです…!)

 

で、いよいよ開演となりました。

 

 

・開演

感想を書きたいところなのですが、正直今は言葉にしたくないなあ(じゃあなんで記事書いてんだよって感じですが)。音が伝わるわけじゃなし、演奏そのものを無理に言葉にしなくてもいいかな。

 

ということで。開演前、僕の期待とか集中力は完全に巨人の方に向いていたのですが、この古典交響曲がよかったというのが印象に残っている。もちろん演奏も素晴らしかったのだけれど、ホールの響きの特性にも同じくらい驚かされた。

 

日本のホール、特に新しいホールって、きれいに聴こえるとは思うんだけど、ある意味で響きの個性を弱めてしまっているのかもね、というのが、このホールでの演奏を聴いたあとの感想。最近きちんと音楽と向き合っていないので、えらそうなことは言えませんが、と予防線を張りつつも、でも少なくとも、同じ演奏をサントリーでやったとしてもこの響きにはならないんじゃないか?とは思った。音が滲まない。個々の音がしっかりと主張していて、それがホールの特性によってきちんと聴こえてきた、と思う。

 

(余談: 1年のとき、合宿に向かうバスの中でさちおに「カール・ライスター大好きなんだよね」って言ったんだけど、さちおは「ドイツ管は音がかためだから自分はポール・メイエとかが好きだ」って言われたんだよね。その違いを、今回再確認した気がする。3日前にパリ管を聴いたときに、木管混ざるなーって思っただけになおさら。)

 

で、巨人の方ですね。

まず、金管鳴らすなあ!っていう。鳴らすだけじゃなくて華やかな感じがしたのは、やっぱりC管ロータリーすごいなあと思いました。いわゆる録音との乖離でこんなに金管が鳴ってるなら、全盛期シカゴとかどんだけ鳴ってたんだ……という感じですが。木管もよく聴こえる。低弦もよく鳴る。

要するに、全部鳴ってるんです。きちんと全部聞こえてきていて、それでいて他のものをじゃましない、ちゃんと全部聴こえる。音が滲まないというホールの特性と相まって、音が立ってる。小学生みたいな感想なんですが、でもこれ、けっこうすごいと思うんだよなあ。木管とか、パリ管だとこうはならんでしょ、目指してるとこが違う、って感じ。

でも、鳴ってるとはいえ全然力感ないんですよね。他のいろんな面に関しても、とにかく力んでなくて、言い換えると「どこか/なにかにフォーカスしてる感じがない」っていうか。当たり前ながら、技術にしろ表現にしろ、最低限クリアすべきものはクリアしているのがプロであるべきなんでしょうが、その「最低限」のレベルが高い。

 

ただ、敢えてネガティブな部分を言うならば、リハとかあんまやってないのか、たまーに乱れがみられたというのも事実。やはり彼らからすれば、翌日と翌々日に同じプログラムで行われる定期演奏会の方が本番という感じなのかもしれません。そんなつもりでやってるわけでもないのでしょうが、スケジュール的には仕方がない部分もあるでしょう。バレンボイムについていけてない(もしくはあえてついていっていない?)部分があり、そこはまだ十分コミュニケーションできてないのかもな、とか。

ただ、それは当たり前のことなのだろうな、とも思う。だいたいの演奏会でこういうのは普通に起こることだし。むしろ、最高の指揮者と最高の楽団の間にヒエラルキー的なものはなく、どちらもが音楽を主張できるということなのかな、とも思いました。つまり、もし指揮者の主張が全部通っちゃってたとしたら、今夜の演奏から失われていたものがあったのかもしれない、という。

 

あと、聴衆の質も高かった。パリでも東京でもどこでもそうですが、楽章間に咳をするために来てるんじゃないかという人とか、演奏中ずーっとプログラム見てる人みたいな、何しに来たのかわからない人とかがいるわけですが、さすがにあの場所にはいなかった。そりゃ咳してる人もいるんだけど、本当に音楽が好きで、演奏会を楽しみにしていた聴衆が集まって、いい演奏会にしよう、というなんとなくの連帯感を感じる、そういう演奏会に出会えることは簡単なことではありません。

 

 

そして、Twitterにも書きましたが、某Hrn.くんと再会しました。

 

f:id:PostOffice:20190320210744j:plain

ホール脇の階段にて。彼の方がちゃんとした服装してました。

 

2階席の僕の後ろの方にいたらしい。ほんとすごい偶然ですよね。何十億分の2000という確率で一緒のホールにいるのはすごい...とか考えてしまいました。

彼とも話したんですが、同じ演奏/演奏会を共有するのって素晴らしいことだと思いました。1人で演奏会行くのもいいけど、やっぱ人と行くのもいいよね。日本帰ったら誰か行きましょう。

再開を固く誓って、彼とは別れました。そして、ホステルへと帰り、泥のように眠ったのでした。

 

 

 

ということで、旅行記終わり。とっちらかった文章ですみません。

ほかの街についても書いてみたいけど、時間がないから無理だろうと思います。書くとしても帰ってからだ。

 

また来たいなあ。近代化されたホールもいいけど、楽友協会だけはちょっと別でしょ。ベルリンフィルやパリ管をベルリンやパリで聞かなくてもいいけど、ウィーンフィルはウィーンで聴きたい。本当にまた来たい。みなさんも興味があればぜひ!