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ブラアカに対する姿勢について、思ったこと

このサークルに対してどのような姿勢を取ればよいか、というのは、一度は考えたことがあるのではないでしょうか。僕もよくこの問題(?)に悩まされるのですが、コンクールの奏者アンケートに目を通したことをきっかけとして、考えをまとめるべきだな、と思い、今までの断片的な思考を整理することにしました。こういう立場でやってます、という表明でもあるかもしれません(?)

 

 

 

 

 

まず、音楽サークルである以上、演奏会に聴きに来てくださる方々がおられる以上、質の高い音楽を目指さなくてはならない、というのは前提条件だと思います。

 

 

 

正直、例えば今回の駒場祭演奏会だと、なんとか通るぐらいの演奏でよければ、3,4回も練習があればなんとかなります。譜読み合奏して、落ちそうなところを確認すればいいので。あとはゲネをやって流れを確認すれば、2週間で音楽”のようなもの”ならできますし、演奏会もできます。

 

 

 

 

でも、それでいいと思う奏者はほぼいないでしょうし、聴衆は言わずもがなです。いい演奏をするために、合奏でいろいろと指示を出すわけで、これは許容してもらわないといけないと思います。

 

 

 

 

 

じゃあ練習は毎回参加必須か、というと、それは全く見当外れだと思います。

 

 

 

 

 

 

実際、「練習の参加率が低いのは良くないことだ」という言説を耳にすることは多くて、まあそれは参加率が低くていいことはあまりないのですが、それはこのサークルにとって、ということであって。

 

 

 

僕たちの時間は、このサークルだけをやるためにあるわけじゃなくて、勉強や他のサークルや、バイトや遊びのためにもあるのであって、その中での優先順位は人それぞれです(だいたい、新歓のときとは練習参加率に対するニュアンスが違いすぎる…)。それを「練習の参加率が~~」と言ってしまうのは、やや視野狭窄だと思ってしまいます。

 

 

 

 

どれだけ時間を割くか、つまり正規練にどれだけ参加するか、個人練をどのくらいするか…とか言ったことは、完全に個人の裁量だと思います。

 

 

 

 

 

 

でも、練習時間が多い方が、例えば個人練を全くしない人と毎日する人だったら、後者の方が、いい音楽を目指す上で望ましいのではないか、と思う人もいるかもしれません。

 

 

 

 

まあそれは望ましいは望ましいかもしれませんが、結局はやはり個人の裁量、個人練を全くしなくても、毎日しても、どれだけ時間を割くか=このサークルの優先順位をどう位置付けるか、というのは自由だと思います。

 

 

 

 

ただ、最初に言った通り、いい音楽を志向しないといけなくて、じゃあ個人練ゼロでもいいのって言ったらそれはよくて、その代わり、参加する練習の時間はちゃんとやりましょう、っていうことで成り立つんだと思います。その自由な参加を求める中で、結果を出す(=いい演奏に持っていく)のが、指導者の仕事です。もちろん個人練してくれてたらうれしいけど。

 

 

 

 

なんだか、個人練習はしないといけなくて、練習も毎回参加にしないといけなくて…というのは変なところを締め付けているような気がします。じゃあ練習あまり来れない人は演奏会から下ろしますか?個人練の時間取れない人は下ろしますか?違いますよね。(そういえば、いつか合宿に参加するのも義務だという言説も見た)

 

 

 

 

 

団体でやってて、しかもサークルである以上、団体で練習してるところ(=正規練)以外での演奏の伸びというのは、あまり計算に入れるべきではないと思います。(演奏会当日とかゲネとか、そんなのは除いて)人の時間の使い方を決める権限をサークルは持たないと思うわけです。

 

 

 

 

 

 

とまあ例によってぐだったわけですが、いい音楽、いい演奏会にしましょう、でも練習参加は自由で、その出てる練習はちゃんとやりましょう、ということなのかなー。

 

 

 

真剣に音楽に向き合うことはとてもいいことだと思うのですが、それがやや暴走して、他の人にまでそれを強いる、ということもあると思います(そういう空気がこのサークルでもややあると思います)が、それは少し危険なことですよ、という警告の意がないでもないです。

 

 

 

 

こういう立場でやってます、ということなので、駒祭乗り降り迷ってらっしゃるみなさんは乗っていきましょう!(お願いします)