匂いについて(ピントを合わせすぎないこと_2)

・僕にとっては、匂いについて、「新鮮である」ということと、「生臭い」ということの間には、大きな違いはない。

 

 

今日はチューブの生わさびを買って開封したんですが、例えば、チューブの生わさびを最初に開けて感じる匂いと、魚の生臭い匂いの間には、共通項がある。(脱線するけど、この「匂いの共通項」という概念が自分にとっては重要だし、さまざまな匂いを知覚・分類するにあたって重要。)

 

魚の生臭い匂いっていうのは、別に新鮮であるかどうか関係なく感じられるもの。とにかく、「生(なま)」なんである。で、この「生」という価値が、ときとして「新鮮さ」にもなり、「生臭さ」にもなる。

 

つまり、「新鮮さ」と「生臭さ」は、ある価値(「生」)のポジティブな側面とネガティブな側面にすぎない、ということも可能なのでは。つまり、同じもの、同じ価値(「生」)を持つものが、ときに「新鮮だ」と言われ、ときに「生臭い」と言われる。

 

 

 

ところで、最近明治の「おいしい牛乳」の、キャップがついている密閉容器のタイプの商品を買ったけど(みなさんご存知ですか?)、あれを開けて最初に飲んだときの感想は、やっぱり「生臭い」だったのでした。正直、あまりポジティブな印象は受けなかった。好みの問題だとは思います。でも、「生」に近ければ近いほうがいいというわけでは、決してない。

 

 

この前も書きましたが、「ピントを合わせすぎないこと」というのは重要であり、やはり「『新鮮さ』を追求しようとした結果『生臭く』なってしまった」ということがあるわけで、なにかにフォーカスしっぱなしで突き進んでしまってはいけないということがある。

 

 

人それぞれにそのピントのぼかし方(?)のバランスがあり、例えば生魚よりも焼いた魚の方が好きだという人はいるでしょうし、牛乳は嫌いだけど乳製品はいけるという人もおり、ステーキはレア派もウェルダン派もいるわけです。

 

 

「新鮮」「生臭い」という価値それぞれにピントを合わせても何もわからず、どうしても匂い・味の諸相というものが見えてこない、ということがあるんでしょう。(味なんて専門でもなんでもないのに、なんかえらそうなこと書いちゃいました。)

 

 

 

そして、最後に、おそらくみなさんには理解できないだろうということを書いておきます。「生」なものの匂いというのを言語化してみると、「『入り込みすぎたので、引き返さねばならない』と思わせる匂い、明確な形は持たず、むしろ『形』の対極にあるような匂い、ただ無意識的な引力を感じるもの」です。