福島旅行記(前篇)

先日、思い立って福島に行った。太平洋沿岸のいわゆる浜通りという地域。

 

行くことを決めたのは3月29日で、翌日出発することを考えて旅程を立てていたが、前乗りしてしまった方がいろいろと楽だということに気づき、急いで荷造りをしてその日の終電でとりあえずいわきへ向かった。常磐線の車内でとりあえずその日の宿を取り、2日間の車を確保し、いわきと相馬出身の先輩に土地の情報を尋ね、23時頃にいわきに着いた。

 

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いわき駅に着いてとりあえず撮った1枚。

 

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前々から被災地を訪れたいという気持ちはあったものの、ただ行っただけでどうなるものではないだろうと思い先延ばしにしていた。ただ、10年の節目となる今年になっても震災という出来事に対して外部的でしかない自分の身を顧みて、やはり「ただ行く」だけでもいいから行ってみようと思い立った。自分の学業にも一つの区切りがつき、4月からは多少忙しくなってしまうだろうから今しかないという切迫感もあったと思う。

 

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いわきのビジネスホテルにチェックインする。しかしなぜか全く眠れなかった。言葉にすれば「不安の混じった興奮状態にあった」ということになるだろうし、「何か漠然とした切迫感を抱えていた」とも言えるかもしれない。らちがあかないので、ひとまずどこかに向かうことにした。

 

午前3時頃に車を借りて東へ向かう。とにかく海を見ておきたかった。車はほとんど走っていない。海岸沿いの道路に出たはいいものの、真っ暗な上に防波堤が高いので何も見えなかった。灯台があるという案内が見えたのでそこから南へ向かい、大きな駐車場のある海岸にひとまず停めた。暗くて何もわからなかったがここは薄磯海岸というところで、前日にいわき出身の先輩からおすすめされていた場所なのだった。風が強く、波の音も大きい。灯台の光が見える場所だった。半時間ほどはここにいたと思う。

 

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薄磯海岸。真っ暗。

 

さらに南へ向かい、小名浜へ。空が白み始めた頃に三崎公園に着き、無骨な展望台に登って朝日を待った。

 

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絶え間なく波が押し寄せる。月がやけにきれいだった。

 

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東南東の方角。水平線に厚い雲があったけどちゃんと昇ってくれた。

 

朝日を見たところで一旦ホテルへ戻ったものの、身支度をしてすぐに出た。相馬を当面の目的地として北へ向かう。

本来最短で相馬へ向かおうとすれば常磐道に乗ることになるが、今回は被災地を見ておくという趣旨で訪れたので当然高速には乗らない。下道だと国道6号を通るのが普通ということらしく、基本的には6号線を使いつつも適宜寄り道をすることにした。

 

ということで海に近づいたあたりで国道を外れ、海岸の方へ向かった。土地勘がないので正確な場所は分からないが、おそらく久ノ浜のあたり。

 

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国道を外れて海へ向かう途中。以後何度もこの標識を目にすることになる。

 

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適当に東へ向かっているうちにたどり着いた場所。

 

この日は晴れ間は見えていたものの曇りがちで、そのせいかやや陰鬱な印象を与える海だった。鉛色の海。

ひさびさに一直線の水平線を見たと思う。慣れ親しんでいる海にはたいてい対岸というものがあったから。しばらくそこにいたが、単に「見ていた」というより「目が離せなかった」という方が近いかもしれない。

 

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国道へ戻る。

 

6号線のうち楢葉から浪江までの区間は「帰宅困難区域」に入っており、歩行者・二輪は進入禁止かつ普通車も駐停車禁止となっている。窓を開けてもいけない。

そういうわけで一切写真は撮れなかった。十数キロの道沿いには放置された建物の数々。10年経っても「復興」とは程遠い状況。

 

一方で工事関係の車両はものすごい数。これらのマンパワーはこの地域の復興のために使われているのだろうが、果たしていつになったらここに人が住むことができるのだろう?もう10年が経っている。

 

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この区間を抜けて、ひとまず浪江駅へ向かう。昨年常磐線全線開通のニュースが流れたが、それ以前不通だった富岡-浪江間に乗っておきたかったのだった。

 

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浪江駅。

 

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浪江駅構内。この先が旧不通区間の富岡駅方面。

車を置いて電車で夜ノ森駅へ。たった3駅ではあったが、やはり車窓は呑気に見ることのできないものだった。

 

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15分ほどで夜ノ森駅に到着。駅周辺は除染されているということになっており、特に夜ノ森駅は歩いて回れる区域が広い。桜が満開になっており、ガードレールに腰掛けてお花見をするご夫婦もいた。

 

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夜ノ森駅前。

 

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しかし歩くとほどなく物々しい看板と柵が見える。

 

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この橋を渡ると歩行者進入禁止区域となる。

なんというか、いろいろなことが「程遠い」。駅に降り立つことはできて、きれいな桜が見れて、他にも花見を楽しんでいる人がいて、でもここまで。どうしようもない無力感を抱えてしまう。

 

この除染済み区域もある種のユートピアなのではないかという気持ちになる。確かにこれは復興に向けた第一歩なのかもしれないが、10年経ってやっとここまで。それぞれの場所に戻れるようになるにはあと何年かかるのだろうか。土地の人が「第一歩」を「第一歩」として喜ぶのはともかくとして、私たちは一緒になってただそれを祝うだけでいいのだろうか。それは失われたものないし失われつつあるものから目を逸らすための口実なのではないか。

 

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ゆっくりしたかったものの、時間の都合もあり30分後の電車で浪江に戻る。

 

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夜ノ森駅構内より。

 

「道の駅なみえ」に立ち寄ってお米と凍み餅を買う。やや急いでいたのですぐに相馬に着いてしまった。

 

相馬には「伝承鎮魂祈念館」という施設があり、小さいながらも当時の新聞記事や写真などが展示されていた。写真はない。

 

そこから中村城跡へ。相馬出身の先輩によればここは「相馬の中心」らしい。あまりたくさんは見れなかったけれど、中にある相馬中村神社にはやはり桜が咲いていた。

 

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この日の分のフィルムが尽きていたのでハーフで撮った。写真はあまりきれいではないけれど、まばらに咲いている桜はきれいだった。

 

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「相馬野馬追」という神事が行われるらしい。

 

車中泊をすることも考えていたものの、前日から寝ていないということもあり、安宿を取ることにした。荷を解いてカップ麺を食べ、同期と電話で話したあと、19時頃早々に寝落ちてしまっていた。

 

翌日も早朝に出発することになる。今回は一旦ここまで。