福島旅行記(後篇)
2日目(3日目?)も早朝に出発することになった。午前3時半に宿を出る。とりあえず海に向かい、なんとなく鵜ノ尾埼灯台というところで停めて岬へと登っていく。まだ夜は明けていなかったが漁船が多かった。
ものすごい風と強い潮の香り。ウミネコが鳴いている。
途中通って海岸沿いの道路は一直線で人も車もおらず、さながら高速のよう。普通沿岸の道路というのはくねくね曲がるものだと思っていたので、少しびっくりする。考えてみれば、自分の慣れ親しんだ海岸というのは「島」のそれであって、道路も曲線を描くわけだけど、この辺りは陸も海も「面」のようになっていて、一直線に対峙しているような印象を受ける。
松川浦もきれいなところだった。ここは海とつながった湖のような場所で、どこか松島を思わせるような風景だった。
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以降の予定を何も考えていなかったが、時間は有り余っていたので亘理まで足を伸ばすことにした。本当は閖上に行きたかったが、寄り道しながら向かうにはやや遠いので断念。
寄り道の間の写真はなし。亘理町に入り海岸にたどり着く。吉田砂浜海岸。ここの防波堤は異様なほど高かった。
砂浜の方に降りると、さらにこの堤防の巨大さが実感される。テトラポッドも規則的に並べられているので、何か異様な一様さを感じさせる。
たびたび目にするこの「異様な一様さ」については考えさせられた。数キロ、数十キロの長さにわたって続く防波堤や防潮林は確かに人工のものなのだけれど、自然の方もまた比類なき力によってこの海岸を一様に流し去ってしまった。ここで人間が暮らしていくには、自然の巨大な力に対して人間も抵抗しなければならないのだろう。
しかし少し違和感を感じてしまったということは告白しなければならない。果たして人間はいつか、あらゆる海岸をこの巨大な防波堤で覆ってしまうのだろうか。
防波堤沿いに進んでいく。この道は未舗装であった上に前夜の雨も影響してコンディションは非常に悪く、ときには通れるのか怪しいほど大きな水たまりがあったほど。ものの数分で洗車が必要な状況になってしまった。
どこまで進んでもあまり風景は変わらない。行き止まりのところまで来てしまったので、ゆるやかに帰路につく。ここからは基本的にいわきに戻るだけとなる。
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帰り道はほとんど同じ道だったが、自分の趣向もあってこれまでは海ばかり見ていたので、横道に入って田畑(であった場所)も見ておく。
実際にそこに住んでいる人がどう思うかは別として、木々が生え土が大量にあるのを見て少しだけ安心感を得たというのが正直な感想。相変わらず工事の車両が多いのを見るとまだ道半ばなのだと思わされるが、そもそも「道半ば」というのは人間にとっての話である。
自分は「人間」に関心を抱いてはいるけれども、「人間中心主義」を標榜しているわけでは決してないということは書き添えておく。
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なぜ自分がこんなに海に惹かれるのかは分からないが、帰り道には結局海に寄りたくなった。久ノ浜の海岸。
一直線の海岸ばかり見ていたので、ごちゃごちゃした砂浜を見ると安心する。
少し時間の余裕があったので、最後に薄磯海岸にもう一度立ち寄る。前日は真っ暗で何も見えなかった上に風も強かったが、やや凪いでいて穏やかだった。中学生が何人か遊んでいる。
いわき駅に戻り車を返す。疲れていたので特急ひたちに乗って東京へ帰った。
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震災という出来事に接近するための第一歩としてとりあえず行ってみたわけで、この2日間で何かを「得た」のかどうかは分からないし、おそらく胸を張って「得た」と言えるものはないというのが正直なところ。ほとんど写真を並べるだけの旅行記(?)になってしまっているが、自分が持ち帰ってきたものはこの写真くらいなのかもしれない。
ただ、少なくともまた訪れてもっと深く知りたいということを強く思っており、それだけでも一つの収穫だとは思っている。今回は地元の人との接触を完全に絶っていたので、次来るときにはもう少しいろいろ土地の話を聞けるといいんだけど。